作品の批評ほか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 01:33 UTC 版)
「オートマット (美術)」の記事における「作品の批評ほか」の解説
ある批評家は次のように述べている、すなわち、ホッパーの憂鬱な題材に典型的なポーズでは、「女の眼は下に向けられ、思いは内面に向かう。」。別の批評家は、「コーヒー・カップを、それが彼女がたよりにし得る、世界で最後の物であるかのように見つめている」と記述している。1995年『タイム (雑誌)』は、20世紀のストレスと鬱病に関する記事のための表紙のイメージに本作を用いた。 美術批評家イーヴォ・クランツフェルダー(Ivo Kranzfelder)はこの絵の題材(レストランでひとりで飲み物をちびりちびり飲んでいる若い女性)をエドゥアール・マネの『The Plum』およびエドガー・ドガの『L'Absinthe』と比較する--ただし、ドガの絵における題材とはちがって、女は放蕩にふけるというよりもむしろ内省的である。 革新的な手で、ホッパーは女の両脚を絵のなかで最も明るいところにしたし、それによって「彼女を欲望の対象にし」、「見る者を窃視者にした」。こんにちの基準では、この記述は誇張に思われるが、しかし1927年には女の脚を公然と見せることはいまだ、比較的、新奇な現象であった。 批評家キャロル・トローヤン(Carol Troyen)が注目するように、「絵のなかのどの細部よりもむしろ題名が、このレストランをオートマットと確認させる」。しかしながら、トローヤンは続けて、レストランを、1920年代のニューヨーカーにとって確認可能にしたであろう多くの特徴に注目する:「それらは清潔で、能率的で、十分に照明され、そして--典型的には円いカラーラ大理石のテーブルとオーク無垢材の椅子が備え付けられて--上品ぶっていた。ホッパーが絵を描くときまでに、オートマットは、働く女性がひとりで食事を取るのに安全かつ適当な場として利用が促進され始めていた。」。1920年代のニューヨーカーにとっては、あの内部はただちに、オートマット(Automat)であると見分けがついたであろう。タイムズスクエアのオートマットの1912年の写真は、ホッパーが描いた椅子と大理石の天板のテーブルが一致する、。しかしながら、これはタイムズ・スクエアのオートマットではない。その場所の天井の照明は重大なことに、絵のそれよりもより装飾的であった。
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