作品が出来るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/05 16:01 UTC 版)
元来お正月映画用として『弥次喜多 名君初上り』が予定されていたのが、主演の片岡千恵蔵の急病で2週間の休養となり、急遽、ほぼ同じスタッフとキャストで作られた。確かに主役でありながら片岡の出番は巧みに少ない。長屋内と広場のカットをほんの2時間で撮って終了したという。そのかわり、志村喬とディック・ミネが大きくフィーチャーされ、自由度の高い作品となった。 脚本はマキノ監督が「江戸川浩二」名義で執筆し、撮影はのちの名カメラマン宮川一夫、マキノと同い年で当時31歳の宮川は、すでに監督歴13年、本作が113本目の大ベテランのマキノと違い、4年前に撮影技師に昇格したばかりで本作はまだ20本目であった。音楽は服部良一門下の逸材でテイチクレコード専属の大久保徳二郎で、編曲とオーケストラの指揮を執った。テイチク専属の人気歌手ディック・ミネ、および服部の妹服部富子が特別出演。作詞とオペレッタ構成をおこなった島田磬也、および大久保、ミネのトリオは、当時のテイチクのヒットメーカー・チームであった。 「早撮りのマキノ雅弘」にふさわしく、プリプロダクション4日、実撮影期間は1週間ほどで出来あがった。人物名も、俳優の名前を活かしたある意味ではいい加減なものだが、その軽さが映画と合っている。底抜けに明るい世界の映像と音楽とが完璧な調和を見せている。短期間で出来たのが奇蹟であるが、その事実自体に、当時の日本映画の質の高さを窺う事ができる。ありものの江戸のオープンセットと、長屋や屋敷内などのたった数杯のセットのみで撮影され、それがパーマネントでキープできた戦前の撮影所の美術力も重要である。セットの設計は角井嘉一郎である。
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