佐双左仲
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佐双 左仲(さそう さちゅう、1852年6月2日(嘉永5年4月15日) - 1905年10月9日)は、日本の海軍軍人、工学博士。旧名、堀尾友吉。位階勲等功級は、海軍造船総監・正四位・勲一等旭日大綬章・功三級金鵄勲章。
生前の功績により、嗣子である佐双定雄に男爵が授けられ、華族に列した。
経歴
金沢藩士・堀尾治郎兵衛の四男として生まれ、佐双久右衛門の養子となる。
1869年、海軍兵学寮に入学。1871年から1878年までイギリスに留学。1879年1月、海軍中機関士に任官。海軍省主船局造船課長、欧州出張、艦政局造船課長、海軍省第2局第2課長、横須賀鎮守府造船部長、海軍省第2局第1課長、第2局第2課長、軍務局第3課長などを歴任し、1896年4月、造船大監。
軍務局造船課長を経て、1897年12月、造船総監となった。以後、欧州出張(造船監督官)、艦政本部第3部長を勤めて、在任中に死去した。日本海軍最初の技術武官の一人で、中将相当官(造船総監)に初めて就任した人物でもあった。1899年3月、工学博士号取得。墓所は青山霊園(1ロ17-5-13)。
栄典・授章・授賞
- 位階
- 1884年(明治17年)2月9日 - 従六位[1]
- 1886年(明治19年)7月8日 - 正六位[2]
- 1891年(明治24年)12月16日 - 従五位[3]
- 1897年(明治30年)3月1日 - 正五位[4]
- 1902年(明治35年)4月30日 - 従四位[5]
- 1905年(明治38年)10月9日 - 正四位[6]
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[7]
- 1892年(明治25年)5月28日 - 勲六等瑞宝章[8]
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[9]
- 1896年(明治29年)5月26日 - 勲五等瑞宝章[10]
- 1898年(明治31年)11月24日 - 勲四等瑞宝章[11]
- 1901年(明治34年)12月27日 - 勲二等瑞宝章[12]
- 1902年(明治35年)5月10日 - 明治三十三年従軍記章[13]
- 1905年(明治38年)10月9日 - 勲一等旭日大綬章[14]功三級金鵄勲章[15]
備考
1907年10月、生前における日清・日露両役の功により、嗣子定雄に男爵位を授けられた。
親族
脚注
- ^ 『官報』第295号「賞勲叙任」1884年6月24日。
- ^ 『官報』第909号「叙任」1886年7月13日。
- ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
- ^ 『官報』第4096号「叙任及辞令」1897年3月2日。
- ^ 『官報』第5644号「叙任及辞令」1902年5月1日。
- ^ 『官報』第6687号「叙任及辞令」1905年10月11日。
- ^ 『官報』第1936号「叙任及辞令」1889年12月10日。
- ^ 『官報』第2680号「叙任及辞令」1892年6月6日。
- ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
- ^ 『官報』第3879号「叙任及辞令」1896年6月5日。
- ^ 『官報』第4625号「叙任及辞令」1898年11月29日。
- ^ 『官報』第5548号「叙任及辞令」1901年12月28日。
- ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『官報』第6704号「叙任及辞令」1905年11月1日。
参考文献
固有名詞の分類
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