塩屋方圀とは? わかりやすく解説

塩屋方圀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 02:11 UTC 版)

塩屋 方圀(しおや かたくに、1851年1月9日嘉永3年12月8日[1]) - 1914年大正3年)11月11日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

石川県出身。金沢藩士・堀尾治郎兵衛の息子として生まれ、塩屋新五の養子となる[1]西南戦争では砲兵第6大隊を指揮し熊本鎮台に籠城した。

1887年(明治20年)11月、砲兵大佐に昇進し、同月、広島鎮台参謀長に就任。1888年(明治21年)5月、広島鎮台が第5師団に改編され、引き続き参謀長を務める。1892年(明治25年)2月、陸軍大学校長に転じた。

1894年(明治27年)8月、陸軍少将に進み、同月、第1軍兵站監に就任し日清戦争に出征。1895年(明治28年)7月、要塞砲兵監に就任。1896年(明治29年)10月、威海衛占領軍司令官兼歩兵第2旅団長に転じた。

1898年(明治31年)3月、対馬警備隊司令官に就任。1899年(明治32年)3月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に着任。1902年(明治35年)5月、予備役に編入された。

栄典

位階
勲章等

親族

脚註

  1. ^ a b 『人事興信録 初版』人事興信所、1903年、p.1054。
  2. ^ 『官報』第1970号「叙任及辞令」1890年1月25日。
  3. ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
  4. ^ 『官報』第5696号「叙任及辞令」1902年7月1日。
  5. ^ 『官報』第782号「叙任」1886年2月13日。
  6. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  7. ^ 『官報』第3849号・付録「辞令」1896年5月1日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「塩屋方圀」の関連用語

塩屋方圀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



塩屋方圀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの塩屋方圀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS