佐双定雄
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佐双 定雄(さそう さだお、1891年(明治24年)2月 - 没年不明)は、明治時代から昭和時代の華族(男爵)。造船技師。位階は正五位。
生涯
1891年2月、海軍省の造船に携わっていた佐双左仲と母嘉弥の長男として生まれる。1905年10月9日、父である佐双左仲工学博士が卒去したことにより、家督を相続した。1907年、造船に尽力した父左仲の勲功により、16歳にして華族に列し男爵を授けられた。1917年、東京帝国大学工科大学造船学科を卒業。三菱造船会社の長崎造船所技師となった。その後横浜船渠会社に勤務した。
1931年選定により、細川立興子爵の次男の立業(1898年12月 - )が男爵家を継いだ。当時やその後の定雄の動向は不明。 立業は1920年からアメリカに渡り、イギリスやフランスにも留学し、留学期間は6年にも及んだ[1]。
家族
- 妻 弥栄子(陸軍少将山口圭蔵の二女)1900年4月 -
- 姉晴子(北海道人東条国太郎の末亡人)1881年4月 -
- 妹 久子(学習院女学部卒。群馬水電の常務取締役の浅見省吾妻)1896年4月 -
- 妹 和嘉子(学習院女学部卒。工学士、湯浅蓄電池製造所の代表取締役の杉山寅三郎妻)1898年11月 - [2]
- 立業妻 小枝子(芝区宇田川町の増沢デパート経営者の増沢棟造長女)1909年7月 -
脚注
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