伊勢楠木氏庶流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:24 UTC 版)
正富とその甥の名称不明の人物は神戸(今の三重県鈴鹿市神戸)に移住して木俣氏の祖となり、その子孫の木俣守勝は徳川家康・井伊直政に仕えて後裔が彦根藩家老の家格、明治に至って男爵に叙された。ただし、守勝には実子が無く、養子の守安が木俣氏当主を継いだため、現在の木俣氏宗家は楠木氏と血筋上の繋がりは無い。 アラビア石油創業者山下太郎とその縁戚が所有する『山下・楠 楠系図』によれば、第7代正具は顕如の客将となってから討死するまでに正実という息子を儲けており、正実は伊勢神宮外宮御師橘季家の養子となって橘正実となり、御師の名跡としては代々「朝田彦太夫」(従四位の家格)を名乗り、その傍系が現在の秋田県横手市平鹿に移って楠に復姓し、途中で楠氏と山下氏の二氏に分かれ、その山下氏の嫡流が山下太郎であるという。山下太郎は湊川神社に大鳥居や神饌田などの寄進を行い、楠木同族会初代会長を務めている。 三重県津市高野尾町の旧家高楠家に残る『高楠系図』によれば、第7代正具が伊勢長島城落城後に流浪して、近江篠原村滞在中にもうけた息子が楠一角正治、その正治の子が高楠家初代である伝三郎だという。高楠家第10代当主邦三郎の弟、孫三郎の婿養子になったのが仏教学者高楠順次郎である。
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