乾進丸 (1948年)
(仮称艦名第1822号艦 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 15:03 UTC 版)
乾進丸(けんしんまる)は、かつて乾汽船が運行していた貨物船。元は日本海軍の未成敷設艦 仮称艦名第1822号艦。処女航海で遭難し沈没した。
- ^ a b 世界の艦船『日本海軍特務艦船史』p. 70、福井『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇 艦歴表p. 8による。『乾汽船60年の歩み』p. 310では浪花造船所、小樽地方海難審判庁「汽船乾進丸遭難事件」裁決書では難波造船所としている。
- ^ 2DRS型、2DRSC型、2DRP型、2DT型の全てを含めた2D型戦時標準船としての隻数。戦後竣工の14隻、未成6隻、建造中止12隻を含む。
- ^ 1944年3月に決定された2DT型戦時標準船の建造船価。その後のインフレーションによる価格の変動は考慮していない。
- ^ a b なつかしい日本の汽船_乾進丸による。『乾汽船60年の歩み』p. 310には6月7日進水としているが、世界の艦船『日本海軍特務艦船史』p. 70では当該日を竣工日としている。
- ^ a b 世界の艦船『日本海軍特務艦船史』p. 70による。小樽地方海難審判庁「汽船乾進丸遭難事件」裁決書および木俣『残存・帝国艦艇』p. 34では6月竣工とし日付は記していない。福井『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇 艦歴表p. 8では竣工年月を(昭和)23.8とし日付は記していない。
- ^ 小樽地方海難審判庁「汽船乾進丸遭難事件」裁決書、および世界の艦船『日本海軍特務艦船史』p. 70による。『乾汽船60年の歩み』p. 310では沈没日を11月5日としている。木俣『残存・帝国艦艇』p. 34では昭和23年11月とし日付は記していない。
- ^ 脚注なき限り2DT型戦時標準船としての要目。
- ^ #昭和造船史第1巻 794頁では公試排水量、#海軍造船技術概要(1987)822頁では満載排水量となっている。
- ^ 小樽地方海難審判庁「汽船乾進丸遭難事件」裁決書には船長の氏名が記載されているが、個人名のため本記事では表記しない。
- ^ 小樽地方海難審判庁「汽船乾進丸遭難事件」裁決書には技師の氏名が記載されているが、個人名のため本記事では表記しない。
- ^ 『乾汽船60年の歩み』p. 310では日付は11月5日、遭難地点は天売島沖、原因は大波としている。
- ^ 昭和24年8月31日付 小樽地方海難審判庁 「汽船乾進丸遭難事件」裁決書。
- ^ 戦時標準船
- ^ a b 『乾汽船60年の歩み』p. 310による。
- ^ なつかしい日本の汽船_乾進丸
- ^ a b c #海軍造船技術概要(1987)上巻p.822
- ^ a b c d e f #海軍造船技術概要(1987)上巻p.814
- ^ a b c 『日本海軍特務艦船史』p.70
- ^ #海軍造船技術概要(1987)上巻pp.814-815
- ^ #海軍造船技術概要(1987)上巻p.817
- ^ #海軍造船技術概要(1987)上巻p.819
- ^ #写真日本の軍艦第14巻p.56上写真の解説
- 1 乾進丸 (1948年)とは
- 2 乾進丸 (1948年)の概要
- 3 関連項目
仮称艦名第1822号艦
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「箕面 (敷設艦)」の記事における「仮称艦名第1822号艦」の解説
2D型8番船。1945年2月1日、浪速船渠にて起工。資材調達の目処が立たず4月に工事中止。戦後に工事が再開され、1948年6月7日、乾汽船所属の乾進丸として竣工。同年10月4日、荒天のため遭難沈没。
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