他の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/22 19:24 UTC 版)
この級の改修型は作戦任務により大きな価値を与えた。また、1918年11月11日にアーミスティスで休戦協定が結ばれた時点では、6隻が基地で運用されていた。N.S.7およびN.S.8はイーストフォーチュンを基地とし、降伏したドイツの艦隊を護衛してローサイスへ帰還した。この間、N.S.4、N.S.6、N.S.11、N.S.12はロングサイドから作戦していた。追加の2隻であるN.S.14およびN.S.16はキングズノースにて建造途中であり、戦争終結後に進空した。 W・K・ウォーンフォード機長の指揮のもと、N.S.11は初期の連続飛行記録である61時間30分を記録し、またN.S.12の随行を受け、飛行船によるノルウェーへの初の飛行を実施した。さらにN.S.11は1919年2月9日から13日にかけ、約6,400kmをカバーする機雷捜索の間に、101時間の連続飛行記録を作った。この後、硬式飛行船であるR34はこの記録を破った。R34はイーストフォーチュンを出発し、アメリカ合衆国のニューヨーク州ロングアイランドにあるミネオラへ108時間かけて飛行した。その直後、NS11は(非公式には)この記録を取り戻そうと準備する間に失われた。 7月15日の早い時間、公式には機雷捜索のための哨戒中、N.S.11は、ノーフォーク海岸にあるクレイ・ネクスト・ザ・シーで「どんよりした黒い雲」の下を飛んでいるところを目撃された。そして、直後に巨大な爆発音が聞かれた。下降し、炎上する飛行船の鮮明な輝きは数分で終わり、2回目の爆発の後、最後には海へ突入した。生存者は存在せず、また公式な査問会議での調査結果は確定的でなかった。しかし他の可能性としては、落雷の命中が爆発の原因となっただろうことが推測された。 N.S.11の損失の後、N.S.7とN.S.8のみは作戦についていた。N.S.14はアメリカ海軍に売却され、残余は墜落または除籍、解体された。N.S.8は1919年10月に除籍され、この級の最後の船であるN.S.7の最終的な飛行は1921年10月25日に行われた。 NS級軟式飛行船は総数で14隻が建造された。長期の連続飛行と記録破りは、単に輸送船団の護衛任務や、対潜作戦、ほか艦隊に付随して任務についた際に、通常の作戦飛行を行った結果であった。また改修された形状のNS級飛行船が成功を収めたことから、これらはおそらく、他の国によって生産されたどれよりも最良の大型軟式飛行船であると考えられていた。
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