きょう‐ます〔キヤウ‐〕【京×枡】
京枡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 22:56 UTC 版)
京枡(きょうます)とは、日本の中世末期から昭和戦後期にかけて公定の枡として採用されていた枡の様式である。内法(うちのり)は縦横ともに竹尺4寸9分四方、深さ2寸7分[注 1]、すなわち容積64827立方分をもって1升とした。
- ^ 約148.485mm×148.485mm×81.818mm。
- ^ 約151.515mm×151.515mm×75.758mm。
- ^ 例えば 『多聞院日記』の天正14年10月9日付で「京番(判)の 升(ます)」もこれであると考証される。日記に、当時の1石は以前の十合升ではかると1石2斗に相当すると付記されており、「以前」を宣旨枡系統(現代0.8升)とすると、計算上0.96升の枡は積62500立方分が合致する。
- ^ 1000000立方分の1/16が62500立方分。
- ^ 中村惕斎は『多聞院日記』の例は"芥田氏の縦5寸1分横5寸1分半フカサ2寸4分半の升"だという[4]。なお惕斎(中村之欽)『三器攷略』よれば、昔(天正・慶長頃)には大小二種類の枡があり五寸四方のものはその大の方だとしているが、ここでいう小とは8合枡(宣旨枡系統)だと狩谷棭斎は述べている[6]。
- ^ 中村惕斎『三器攷略』によれば、あまり口が広いと「好巧 」(すなわち斗掻による不正)をゆるすので口を狭くしたとしている[8]。
- ^ 豊臣政権・江戸幕府初期の京枡、のちに「江戸枡」と呼ばれて江戸中期まで作り続けられたもの
- ^ "寛永四年ニハ既二其制ヲ改メラレシ"。寛永4年(1627年)成立の算術書『塵劫記』ですでに新升を「今判」と呼称したり、前のものを「昔升」や「古升」と呼んでいることを根拠としている。
- ^ 2月に"江戸升今度京升之ことく、御改升一同被仰付候間..."のお触れがあり[11]、8月にも改めて "当春相触候通、江戸升と京升寸法相違有之故.."のお触れがあった[12]。
- ^ これは単純に計算できるが、64827立方分 = 64827/106 立法尺 = 64827/106 × (10/33)3 立法メートル。因数分解で分子と分母を27で割ると2401×103 / 1331×106 になり、あとは0を相殺する。
- ^ なお、水鳥川の論文では、寛文年間に公定された実在の新京枡の容量の実測するばあい、枡口の対角に横たえた
弦鉄 ()という金属棒をはずして計測しなければならないと指摘する[7]。ただこの測定が現升と一致するというのはおかしい。水鳥川が指摘する通り"現尺より0.2%長いで作られていた"[7]のならば、その升はより大きい容量の値になる。
- ^ 竹田 2000「宣旨枡」
- ^ a b c 竹田 2000「十合枡」
- ^ a b c 『日本経済史 1』1988年、103頁
- ^ a b 天野 1979, p. 10.
- ^ a b 中村惕斎 1917, pp. 137–166『三器攷略』。狩谷棭斎 1927「本朝量攷」、77–78頁に引用。参:天野 1979, p. 11
- ^ 狩谷棭斎 1927「本朝量攷 」、77–78頁。
- ^ a b c d 水鳥川 2012, p. 99.
- ^ 天野 1979, pp. 11, 13.
- ^ 天野 1979, pp. 11–13.
- ^ 天野 1979, p. 12.
- ^ a b 『日本国語大辞典』1972年、206頁
- ^ 小泉 1977, p. 34.
- ^ 水鳥川 2012, p. 106.
- ^ 竹田 2000「升」
- ^ 小泉 1980, p. 216
- ^ 小泉 1977, p. 33.
- ^ 『日本社會事彙』 下、經濟雜誌社、1907年、1252頁 。
- ^ 小泉袈, 裟勝, ed. (1981). 単位の辞典 (改訂4 ed.). ラテイス出版. p. 394. 不明な引数
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