交通事故・トレード
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しかし1960年11月26日、自身の運転する乗用車で滋賀県甲賀郡石部町石部(現:湖南市)の国道1号を大阪方面に向けて運転していたところ、前方に停車していたトラックに追突。乗用車は横転し、対向車と激突して大破した。この事故により、乗用車に同乗していた女性2人(24歳・19歳)が全身強打で即死し、自身も頭蓋骨骨折の重傷を負った。野球の動作に関わる箇所には怪我はなかったが、この出来事で精神的ショックを受け、「名古屋にはいられない」とトレードを志願。12月17日に小淵泰輔とのトレードで西鉄ライオンズへ移籍することが発表された。 同年、5位に低迷した中日球団は杉下に代わり、濃人渉新監督の就任が決まっていたが、濃人は日鉄二瀬(社会人野球)時代に師弟関係にあった小淵の獲得を希望し、投手陣の補強が課題となっていた西鉄にトレードを打診。その交換相手として、中日側は12月12日に児玉(旧姓:空谷)・中山・河村保彦の3投手から1人を選ぶよう西鉄側に提示。これに対し、西鉄側は西亦次郎球団社長らフロント最高幹部と、川崎徳次監督による協議の結果、大矢根が先述の事故から「他球団に移籍して出直したい」と志願していることを把握したため、「第1候補は児玉、第2候補は河村。2人が拒否した場合は大矢根を指名する」と決定。直接交渉に入ると、中日側が児玉・河村のトレード要員を撤回したため、大矢根と小淵のトレードが成立した。この時、中日は大矢根に対し、事故被害者への慰謝料170万円+大矢根自身への功労金200万円を支給している。
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