五反田東映劇場の時代
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「五反田東映劇場」の記事における「五反田東映劇場の時代」の解説
1951年(昭和26年)4月1日、東横映画が合併して東映を設立、同館は五反田東映劇場と改称している。「東横映画撮影所」は東映京都撮影所、太泉映画スタジオは東映東京撮影所となり、同館は直営館として、同社の配給する映画を公開した。1952年(昭和27年)10月には五反田名画座(五反田1丁目260番地、経営・鈴木聰子)、1954年(昭和29年)8月には五反田オリンピア映画劇場(五反田1丁目152番地、経営・東洋興業)、1955年(昭和30年)12月27日には五反田大映劇場(五反田1丁目254番地、経営・大映興行)がそれぞれ開館し、同地区の映画館は6館に増えた。 1976年(昭和51年)には、改築のため休館に入ったが、このころには五反田地区の映画館は、同館のほか五反田名画座(経営・五反田名画座、支配人・種田直二)のみになっていた。1977年(昭和52年)11月、同敷地に全66戸のマンション「ハイラーク五反田」が竣工、同建物の1階に五反田東映劇場(観客定員数285名)、および五反田TOEIシネマ(観客定員数120名)を併設して開館した。アメリカ映画を中心とした洋画の名画座として機能した五反田TOEIシネマは、1980年代には無料のプログラム誌『しねまっぷ』を発行した。いっぽう、成人映画館になっていた五反田名画座は、1989年(平成元年)6月26日に閉館し、五反田地区には五反田東映劇場・五反田TOEIシネマの2館だけになってしまった。 1990年(平成2年)9月30日に五反田TOEIシネマが、次いで1991年(平成3年)には五反田東映劇場がそれぞれ閉館した。同2館の退去後、2013年(平成25年)7月時点のGoogle ストリートビューによれば「金の蔵Jr 五反田西口」が入居していたが、2019年(令和元年)6月現在は「TGIフライデーズ五反田店」となっている。
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