五反田東映劇場の時代とは? わかりやすく解説

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五反田東映劇場の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:01 UTC 版)

五反田東映劇場」の記事における「五反田東映劇場の時代」の解説

1951年昭和26年4月1日東横映画合併して東映設立、同館は五反田東映劇場改称している。「東横映画撮影所」は東映京都撮影所太泉映画スタジオ東映東京撮影所となり、同館は直営館として、同社配給する映画公開した1952年昭和27年10月には五反田名画座五反田1丁目260番地経営鈴木聰子)、1954年昭和29年8月には五反田オリンピア映画劇場五反田1丁目152番地経営東洋興業)、1955年昭和30年12月27日には五反田大映劇場五反田1丁目254番地経営大映興行)がそれぞれ開館し同地区映画館は6館に増えた1976年昭和51年)には、改築のため休館入ったが、このころには五反田地区映画館は、同館のほか五反田名画座経営五反田名画座支配人種田直二)のみになっていた。1977年昭和52年11月、同敷地に全66戸のマンション「ハイラーク五反田」が竣工、同建物1階五反田東映劇場観客定員285名)、および五反田TOEIシネマ観客定員120名)を併設して開館したアメリカ映画中心とした洋画名画座として機能した五反田TOEIシネマは、1980年代には無料プログラム誌『しねまっぷ』を発行したいっぽう成人映画館になっていた五反田名画座は、1989年平成元年6月26日閉館し五反田地区には五反田東映劇場五反田TOEIシネマの2館だけになってしまった。 1990年平成2年9月30日五反田TOEIシネマが、次いで1991年平成3年)には五反田東映劇場それぞれ閉館した。同2館の退去後、2013年平成25年7月時点Google ストリートビューによれば「金のJr 五反田西口」が入居していたが、2019年令和元年6月現在は「TGIフライデーズ五反田店」となっている。

※この「五反田東映劇場の時代」の解説は、「五反田東映劇場」の解説の一部です。
「五反田東映劇場の時代」を含む「五反田東映劇場」の記事については、「五反田東映劇場」の概要を参照ください。

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