五十四母字結構法の完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/30 02:31 UTC 版)
色々な修業をしながらも書法の科学性ということを考え続けていた。突き詰めて考えると書の原点は点と棒線、縦と横と斜め、直線と曲線。基本はこれだけであった。そこで、中国に古来から伝わる結構法を見て研究をし続け、重複するものを全部省くと54つの元字(母字)にまで縮められた。この法則に従って基本を習得すれば、誰でも美しい文字が書けるものだと信念を持った。この成果を確かめようと当時の教え子に指導して三国興亜親善書道展覧会に出品したところ、32名全員が入選するという快挙を成し遂げた。日本・満州・中国の3国でそれぞれ入選数が100点ずつと決められていた中で、日本全国100分の32点を独占してしまった。このことで三国政府から表彰を受け、研究成果を公表しろと言われたため「1週間上達法」として白木屋デパート(現東急百貨店)と銀座伊東屋で2,000部販売した。1週間で売り切れとなったが、白木屋と伊東屋共に無断で複製し販売し始めたため、特許を取得した。書道の教材としては史上初めてのことであった。 これらのことが五十四母字結構法の母体となり、完成をみたのは昭和40年。62歳の時であり、従来の書道のあり方に疑問をもって研究を始めてから実に半世紀近くの時が経っていた。
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