二度目の立候補・金大業兵風事件
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「李会昌」の記事における「二度目の立候補・金大業兵風事件」の解説
落選後は、農作業に参加したり、清掃奉仕に取り組んだりと、それまでの冷徹なイメージを払拭する為の活動に取り組み、2002年末の大統領選挙にも引き続き挑戦して終始リードするも、同年6月の地方選挙で惨敗して、李会昌大勢論に脅威を感じた民主党はブローカー金大業を頼った。金大業がハンナラ党の李会昌候補の息子の関係者が兵役問題隠蔽のための対策会議を開催したなどの嘘をマスコミに流した。秋美愛議員は金を「勇敢な市民」と言い、朴洋洙議員は「兵役不正だけは抜本的に根絶しなければならないと信念を持つ義人」と称えた。金の嘘をKBSなど主要報道機関が連日大きく報道したことにより、それまで支持率1位だった李会昌候補の支持率が12%も急落した。大統領選の2ヵ月前に検察は中間捜査結果にて金大業の主張がほとんど事実無根だと明らかにした。しかし、金大業は逃亡して姿を隠し、検察は「(犯罪)通報者である金大業を司法処理できない」と手を引いた。真実は消え、人々の脳裏には「兵役不正」というキーワードだけ残った。投票当日に盧武鉉(新千年民主党)に逆転を許し僅差で敗れた。盧武鉉候補と李の得票率の差は2.3ポイント(57万票)だった。これは金大業兵風事件と言われている。金大業は2008年1月に盧武鉉政権の年末赦免の対象から除外されると、記者たちに「盧武鉉大統領の側近に裏切られた。近々彼らの行動と実状を暴露する」と話した。そして、「2002年の大統領選で私を義人と呼んだ側近たちが、私にどんな話をしたのか、どのように政権を獲得したのか、さらに私にどのような権力の刃を振りかざしたのか、はっきり知るべきだ」と兵風が民主党企画のネガティヴキャンペーンであると仄めかした。
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