久津川車塚・丸塚古墳とは? わかりやすく解説

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久津川車塚・丸塚古墳

名称: 久津川車塚・丸塚古墳
ふりがな くつかわくるまづか・まるづかこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 京都府
市区町村 城陽市平川
管理団体
指定年月日 1979.01.19(昭和54.01.19)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S53-06-014[[久津川車〓(*1)]くづがわくるまづか]・[[丸塚古墳]まるづかこふん].txt: 木津川右岸丘陵やその縁辺にひろがる低い台地上には多く遺跡形成されている。城陽市久津川古墳群は、平川の低い台地上に所在する南山城地方最大古墳群であり、10数基の古墳からなっていた。近年急激な開発によりその多く失われ今日では車〓(*1)、丸〓(*1)、芭蕉〓(*1)、青〓(*1)古墳などがのこされるにすぎない状況となり、その周辺にも宅地開発の波がおしよせている。
 車〓(*1)古墳は、全長184メートル後円部114メートル前方部107メートルをはかる大規模な前方後円墳であり、南に向いている。墳丘3段に築成され、各段に埴輪列をもち、幅5メートル平坦面が段ごとに作られ斜面には葺石をふいている。後円部中央には長持形石棺所在し、鏡7面甲冑5領のほか多数の玉類が発見されている。墳丘周囲には幅20メートル深さメートル周濠めぐっており、したがって濠を含めた全体は、全長224メートル、幅164メートルとなる。周濠外側には幅8メートル上の外堤めぐらされており、幅13メートルをあけて内・外両側縁に埴輪列が二重樹立されている。
 この車〓(*1)古墳の西に存した寺山古墳はほぼ同規模の大形前方後円墳であったがすでに削平されてその形状とどめず、本古墳推移をうかがう上で大きな支障となっている。丸〓(*1)古墳は、車〓(*1)古墳東方150メートルの地に位置する方墳であり、一辺42メートルをはかる大規模なのである。その軸は、ほぼ車〓(*1)古墳合致しており、時期的に近接するものかとされている。現在、周濠外堤などは指摘できないが、埴輪葺石などはおそらく存在するものと推測されている。
 今回久津川古墳群のうち、地元との調整のついた車〓(*1)、丸〓(*1)古墳指定するが、今回指定し得ないものの、車〓(*1)古墳の北に全長110メートルをはかり周濠外堤をもち埴輪列、葺石具えた芭蕉〓(*1)古墳長方形周濠内に前方後方墳配した東向きの青〓(*1)古墳などがなおのこされている。いずれにせよ南山城最大古墳群として、また5世紀代を中心に以降まで連綿と系譜的に各墳が築造されていく古墳群として極めて重要なのである
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