丹後震災記念館時代(1955-1980)
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「京丹後市立峰山図書館」の記事における「丹後震災記念館時代(1955-1980)」の解説
1955年(昭和30年)1月1日には旧峰山町・吉原村・五箇村・新山村・丹波村の1町4村が合併して新峰山町が発足。これを機に、同年2月1日には峰山町中央公民館として使用されていた丹後震災記念館に移転した。2階にある14坪と16坪の2室を使用し、それぞれ児童室兼新聞雑誌室と一般成人室として使用した。 移転開館時の蔵書数は3,097冊であり、日本十進分類法によって分類された。閲覧机は7台、閲覧席は50席があり、毎日100人程度の利用者がいた。開館時間は10時から17時であり、休館日は毎週月曜日・祝日・年末年始などだった。貸出登録を行えば館外貸出が可能であり、貸出冊数は1冊まで、貸出期間は1週間だった。 同年3月7日には峰山町立図書館条例および同規則を公布施行し、峰山町立図書館は図書館法における「図書館」となった。1956年(昭和31年)9月1日には五箇地区・長岡地区・新山地区・丹波地区の4地区に対して貸出文庫を開始した。同年には図書館が丹後震災記念館1階の大広間に移動している。1960年(昭和35年)からは毎年「児童・生徒読書感想文コンクール」を開催しており、1969年(昭和44年)からは毎年「夏の読書子供会」を開催している。 1972年(昭和47年)からは毎年丹後地震記念展が開催されている。1973年(昭和48年)11月17日には創立20周年記念懇談会を開催した。1972年には地域資料の収集を開始し、1978年(昭和53年)には日本放送協会(NHK)から北丹後地震の記念16mmフィルムを受領している。
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