丹後震災記念館時代とは? わかりやすく解説

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丹後震災記念館時代(1955-1980)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 14:34 UTC 版)

京丹後市立峰山図書館」の記事における「丹後震災記念館時代(1955-1980)」の解説

1955年昭和30年1月1日には旧峰山町・吉原五箇村新山村丹波村の1町4合併して峰山町発足これを機に同年2月1日には峰山町中央公民館として使用されていた丹後震災記念館移転した2階にある14坪と16坪の2室を使用しそれぞれ児童室兼新聞雑誌室と一般成人室として使用した移転開館時蔵書数は3,097冊であり、日本十進分類法によって分類された。閲覧は7台、閲覧席50席があり、毎日100程度利用者がいた。開館時間は10時から17時であり、休館日は毎週月曜日祝日年末年始などだった。貸出登録を行えば館外貸出が可能であり、貸出冊数は1冊まで、貸出期間は1週間だった。 同年3月7日には峰山町図書館条例および同規則公布施行し峰山町図書館図書館法における「図書館となった1956年昭和31年9月1日には五箇地区長岡地区新山地区丹波地区の4地区に対して貸出文庫開始した同年には図書館丹後震災記念館1階大広間移動している。1960年昭和35年)からは毎年児童・生徒読書感想文コンクール」を開催しており、1969年昭和44年)からは毎年「夏の読書子供会」を開催している。 1972年昭和47年)からは毎年丹後地震記念展開催されている。1973年昭和48年11月17日には創立20周年記念懇談会開催した1972年には地域資料収集開始し1978年昭和53年)には日本放送協会(NHK)から北丹後地震記念16mmフィルム受領している。

※この「丹後震災記念館時代(1955-1980)」の解説は、「京丹後市立峰山図書館」の解説の一部です。
「丹後震災記念館時代(1955-1980)」を含む「京丹後市立峰山図書館」の記事については、「京丹後市立峰山図書館」の概要を参照ください。

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