中華人民共和国の成立以降の上海と租界とは? わかりやすく解説

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中華人民共和国の成立以降の上海と租界

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 19:14 UTC 版)

上海租界」の記事における「中華人民共和国の成立以降の上海と租界」の解説

租界都市上海歴史閉じ、まもなく国共内戦勃発し上海は再び戦禍を被ることとなった1949年10月1日中華人民共和国成立すると、数10万人の外国人資本家や、秘密結社構成員文化人技術者熟練工などが、香港渡って行った。そのため、それまで珠江流域商圏とするローカル植民都市に過ぎなかった、イギリス租借地である香港が、かつての租界都市上海地位承継し、繁栄謳歌するようになった1960年代起きた文化大革命上海文化的に荒廃しその後1976年鄧小平による改革開放政策が始まると、香港隣接する深圳市経済特区建設され香港繁栄謳歌するようになり、NIEsの一雄として急成長した。これに対してかつての租界都市上海は、1980年代末までは、ひたすら中央政府利益上納するばかりで、新規投資行えなかった。町並み人口増の圧力によりスラム街化した急成長する香港に対して、その影は薄くなる一方だった。ところが、1980年代末に、改革開放路線拍車がかかると、上海再開発という問題クローズアップされた。1990年4月には「浦東新区建設決定された。これは、黄浦江挟んでこれまで開発がされなかった旧租界地区(浦西地区)の対岸である浦東地区350平方キロメートル上海租界の約11倍)を再開発し、深圳などの4特区上回る一大産業地帯建設しようとするのである1992年10月には、中国共産党第14回党大会において「社会主義市場経済」が提起されよりいっそう大胆な改革開放求められるようになっており、浦東地区享受する優遇策には、深圳などの従来経済特区享受してきたもの以上のものがあった。 外資導入外国企業進出活発化し、さらに世界各国集まった上海万国博覧会行い上海市中華人民共和国最大観光都市産業都市文化都市国際都市として復活した

※この「中華人民共和国の成立以降の上海と租界」の解説は、「上海租界」の解説の一部です。
「中華人民共和国の成立以降の上海と租界」を含む「上海租界」の記事については、「上海租界」の概要を参照ください。

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