中学校・高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 22:10 UTC 版)
中学校ではバスケットボール部に所属しており、毎年シーズンオフ時に臨時で陸上部として大会に出場していた。元々走ることは好きではなく、当初はモチベーションこそ高くなかったが、3000メートル競走で宮城県中学校総合体育大会陸上競技大会8位と実績を残していた。 高校卒業後に就職を見据えて工業高校である古川工業高校に進み、そこでもバスケをするつもりだったが、古川工業の陸上部の先生から「バスケ部でやるという強い思いがないならうちでやらないか?」と言われ、新しいことに挑戦しようと陸上部に入部した。 高校1年時から県駅伝で1区を担うほどの実力はあったが、2年時まで全国大会とは無縁で、大学進学は諦めようとしていた。 そんな中、高校2年時の秋にチームを見に来た帝京大学の中野孝行監督にスカウトを受け、その時に「がんばったら、箱根を走るチャンスはあるよ」と言われ、「自分も箱根駅伝を目指してもいい立ち位置になったのかな」と思うようになった。その思いから親に大学進学を申し出たが、就職してほしいと考えていた親と口論になり、一度は諦めざるを得なかった。 遠藤はその年の冬に5000mで15分切りを果たし、高校3年時に5000mでインターハイに出場したが、結果は14分54秒56で予選敗退だった。しかし、そのインターハイをきっかけに大学から声をかけられる機会が増え、当初は進学に反対していた親も大学進学への背中を押してくれた。
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