中国語の速記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:35 UTC 版)
1896年に蔡錫勇が発表した伝音快字が中国語での始まりとされる。これは発言の逐語記録に主眼を置いたものでなく、表意文字である漢字の学習困難による文盲一掃を目的にしたものである。アメリカに渡り速記法を目の当たりにした蔡錫勇はピットマン系のグラハム式を参考に基礎符号を定め、北京語の音節を表音的に表す方法を確立した。しかしこれはあくまでも知識人個人としての提案に過ぎなかった。 ところが清国政府が国会を開設するにあたり、その議事記録方法として注目されることで本格的な中国速記史が始まる。清国政府は蔡錫勇の次男である蔡璋を召喚して速記法を考案させた。1910年には資政院(中国語版)に中国速記学堂を開設し、約200名を対象に速記官養成が開始された。1911年からは二人一組で30分速記作業を行う形態が資政院の議事録で採用された。ピットマン式の影響があり、1935年頃まで主流を占めたが、その後グレッグ式の影響を受けた速記法が登場、更に中華人民共和国成立後はソ連のサカロフ式の影響が入り斜線派が登場した。その嚆矢が1952年に顔廷超が発表した人民速記法案である。それ以降正円幾何派、半草書派、草書派は入り乱れ様々な速記が用いられている。
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