中井権次一統
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中井権次一統(なかいごんじいっとう)は、丹波柏原藩(兵庫県丹波市)の宮大工、中井道源を初代とし、4代目の言次君音(ごんじきみね)以後、9代目の貞胤まで神社・仏閣の彫物師として活躍した中井家の一統。6代目権次正忠より権次を名乗ったことから権次一統と称する。徳川家康お抱えの宮大工で日光東照宮や江戸城を手がけた中井正清(1565~1619年)の血筋を引くとの説があるが、出自の詳細は不明。龍や麒麟、唐獅子、獏といった霊獣を彫刻した破風・欄干など現存する作品は北近畿(旧丹波国・丹後・但馬)を中心に旧播磨・摂津を含め300カ所程度と推測されている[1]。
注釈
- ^ 西光寺とも。
出典
- ^ 「和製バロック彫刻」◇江戸期の北近畿で活躍した中井一門 作品探しマップや図書◇『日本経済新聞』朝刊2020年2月13日(文化面)2021年1月29日閲覧
- ^ yaokami、非公式ブログ
- ^ 西光密寺 — 中井一統の技(丹波新聞)
- 1 中井権次一統とは
- 2 中井権次一統の概要
- 3 概要
- 4 中井権次一統の代々
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