中世における文武社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 05:42 UTC 版)
中世における文武の文とは、和歌や書といったものを意味していることが多く、必ずしも学問に限ったものではなかった。太田道灌は、和歌にも長けていたため、文においても長けていたことが後世に伝えられる。(『耳袋』など)。戦国時代後期では、茶道も武家にとっては文事に当たった。また宮本武蔵のように絵画や書に通じた者も、含まれることがある。中世社会において、文武二道を体現できたのは武家に限らず、僧兵(武僧)や貴族といった者達も含まれる。 平安時代から鎌倉時代へと移ると、日本では武家政権が確立したこともあり、文武を組み合わせた文化も生じるようになる。例えば、国宝の馬具である「時雨螺鈿鞍」(13世紀作)は、様々な装飾と文字をはめ込み、その主題は『新古今和歌集』の恋歌「わが恋は 松を時雨の 染めかねて 真葛が原に 風騒ぐなり」である。
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