両被告人の直接対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「両被告人の直接対決」の解説
一方、北野の関与を主張するMと、無実を主張する北野の間で、応酬も繰り広げられた。 第27回公判(1982年4月13日)の冒頭で、北野は約40分間にわたって意見陳述したが、その際に拘置所内で書いた日記を読み上げ、Mを「この清い静粛な法廷に、場違いな悪魔の心を持つ女、Mがいる。悪魔とは知らずに一緒にいたことが恥ずかしい」と非難し、M側の宇治弁護士からの異議や、大山裁判長による制止が入っても「ウソつきの女」「冷酷な女」と激しい非難の言葉を続けた。これに対し、Mは激しく動揺したが、約2か月後の第33回公判(6月7日)で、長野地検の坂井検事による被告人質問の途中で、自由な発言を認められると、泣きながら「自分は初公判以来、北野弁護団から『自分が助かりたいために、北野さんに罪をかぶせている』と言われ続けているが、そんなことは考えていない。富山・長野の両事件とも、自分が罪を被るつもりで自供した」「(北野に対し)少しでも被害者に申し訳ないと思ったら、真実を話して、被害者の冥福を祈ってほしい」と陳述した。 一方、第103回公判では、北野が被告人質問で、「富山市内の土地探しや、フェアレディZの購入は、全てMの希望で、自分は交渉役を頼まれただけ」と供述したところ、Mが「あんたの言っていることは、皆ウソじゃないの!」と叫ぶハプニングが起こった。 1984年2月8日の第89回公判で、北野が初めて被告人Mに対する対質尋問を行った(第92回公判まで)が、互いの主張は平行線をたどった。第180回公判(1986年12月10日)以降、第183回公判(1987年1月14日)まで、Mが北野を尋問したが、北野と共謀したことを前提に質問を繰り返すMに対し、北野が憤慨する一幕があった。
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