不明な震源域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/03 09:30 UTC 版)
「慶長十九年十月二十五日の地震」の記事における「不明な震源域」の解説
駿府・三河・伊勢の津波記録を重視すると東海沖、紀伊・伊予の記録は南海沖、越後高田の津波記録は日本海の震源域を示唆し、さらに銚子にも津波記録があり、これらすべてを満足する単一の地震は有り得ないとされる。 1964年新潟地震、1983年日本海中部地震、1993年北海道南西沖地震など、日本海東部には過去に津波を引き起こした地震の震源域が並んでおり、1614年の地震の波源域もそれらの南端、佐渡島から富山湾にかけての海域にあった疑いもあるが津波史料が不確定であるとされている。今村・飯田の津波規模は一応 m = 2 とされているが疑問符が付されている。 『異本塔寺長帳』などの史料を精査した結果、高田城下における地震被害を裏付ける確かな記録が確認されず、『徳川実紀』の被害記録はむしろ京都付近に震央をもつ地震を示唆するともされる。 河角廣は直江津沖(北緯37.5°、東経138°)に震央を仮定しMK = 5.7としてマグニチュード M = 7.7を与えていた。宇佐美(2003)は値を示さず、南海沖のみに着目すると M = 7 - 7 1/2 程度となるとしている。 石橋克彦(2013)は1605年慶長地震は伊豆・小笠原海溝沿いに震源が有り、本地震が南海トラフの地震であるという作業仮説を立てた。ただし、その場合南海トラフの地震としては規模の小さいものであろうとしている。
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