上京、「ザ・タイガース」としてテレビ出演
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「ザ・タイガース」の記事における「上京、「ザ・タイガース」としてテレビ出演」の解説
1966年11月9日、東海道新幹線で上京。3日後、ポリドール・レコード(当時は日本グラモフォン、現在はユニバーサルミュージックに併合)のオーディションに合格し、レコード会社が決まる。メンバーは世田谷区烏山町に用意された住宅に入居し、渡辺プロマネージャーの中井國二を加えた6人で合宿生活を始めた。 11月15日、初出演のテレビ番組『ザ・ヒットパレード』(フジテレビ系)収録当日、渡辺プロの制作部長から依頼を受けた番組ディレクターのすぎやまこういちにより、ザ・タイガースというバンド名が与えられた。沢田は「大阪から来たわけ?じゃ、タイガースだ」(プロ野球の阪神タイガースにちなむ)とすぎやまから言われたと後年述べている。当時アメリカ、カナダ、イギリス、日本などで人気だったアイドルグループ、モンキーズの存在を意識して動物名となったとする説もある。すぎやま自身は1987年に、「関西ってこともあったけど、なによりも初めて見たとき“若虎”って印象があったのね、彼らの動きとかにね」と証言している。また、渡辺プロからの指示により、バンドのリーダーも瞳から岸部に変更された。 初のテレビ出演では、当時アメリカ本国において、モンキーズに次ぐアイドル人気となっていたパンク・ロックバンドであるポール・リヴィア&ザ・レイダーズ(英語版)の「KICKS(英語版)」を演奏。出演時間はわずか30秒で、渡辺プロではなく内田裕也からすぎやまに売り込んでのものだったという。演奏時間がわずか30秒だったことについて内田は、すぎやまこういちに対して、強い怒りを感じたという。内田は、上京後すぐにメンバーを麻布のイタリア料理店「キャンティ」に連れて行った。「キャンティ」は当時、文化・芸能人の集まるサロンのような場所で、メンバーはその後もしきりに出入りし、公私ともに影響を受けていくことになる。 内田の命で新宿ACB出演の際に、メンバーのニックネームと芸名が決められた。岸部は(リトル・リチャードのシングル「のっぽのサリー」に由来する「サリー」)、瞳は(キューピーに由来する「ピー」)、森本は(本名に由来する「タロー」)とされた。3人とも従来からメンバー間で使われていた愛称だった(岸部と瞳は京都時代に自然につけられた)。一方、沢田は、女優ジュリー・アンドリュースに由来する「ジュリー」と自ら名付け、加橋は、トッポ・ジージョに似ていることから新宿ACB支配人の命名で「トッポ」と名付けられた。また、芸名については、岸部は読みを変え(「しゅうぞう」から「おさみ」)、瞳と森本は、表記を変えた。加橋は本名「高橋(たかはし)」の一文字を抜く形となった。沢田は内田による芸名(読みは「サワノイケン」)を拒否し、本名を名乗った。
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