上の山古墳群とは? わかりやすく解説

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上の山古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 02:08 UTC 版)

上の山
古墳群
位置図

上の山古墳群(うえのやまこふんぐん)はかつて神奈川県横浜市都筑区仲町台にあった古墳時代古墳群。確実なもので4基からなる。港北ニュータウン遺跡群の1つで、中世の墓地などをも含む複合遺跡上の山遺跡を構成していた。

概要

市の『横浜市文化財地図』[1]、行政地図情報システムによりおおよその中心位置復元[2]

立地

鶴見川支流・大熊川の形成した谷戸(大熊谷戸)に面する標高40mほどの仲町台の台地から、南向きに張り出す尾根筋と、その西側に入り込む小支谷の範囲を、当遺跡範囲とする。この南向きに張り出す尾根筋の北側は、台地に接続し、大熊仲町遺跡(おおくまなかまちいせき)という別の遺跡が隣接して広がる[3]。また尾根筋西側の小支谷のさらに西側にある尾根は上台の山遺跡(うえだいのやまいせき)という遺跡となっている[4]

調査の背景

現在の都筑区(かつては緑区・港北区)地域は、かつては多摩丘陵の一角として丘陵(森林)と谷戸(田畑)の広がる典型的な里山であった。1965年(昭和40年)に発表された港北ニュータウン事業は、この里山地帯を30万人規模の一大住宅地に改造する都市計画であり、この未曾有の開発工事によって、開発区域内に広がる268箇所もの周知の埋蔵文化財包蔵地遺跡)のうち、200箇所以上が1970年(昭和45年)から1989年(平成元年)まで、約20年かけて発掘調査されることとなった(港北ニュータウン遺跡群[5]。上の山遺跡および古墳群は、この過程で1988年(昭和63年)10月20日から1989年(平成元年)6月7日にかけて発掘調査された[6]。現在は尾根が削平され、住宅地となっている[7]

調査結果

上の山遺跡としては、南向き尾根筋・および西側の谷戸内のエリア約16500㎡が調査され、旧石器時代から中世近世日本至る各種遺構が重層的に検出され、この中に上の山古墳群も含まれていた。古墳群は、5世紀末~6世紀初頭の築造とみられ、円墳3基・方墳1基の4基の高塚古墳と横穴墓2基からなる[6]

南北向きの尾根筋上に縦1列に築造されており、北側にから1号~4号墳と付番された。ただし、築造順序は南の尾根末端から4号→3号→2号→1号の順と見られている。

  • 1号墳は、直径19.4mの円墳。幅1.6m~2.4mの周溝をもつ。墳丘上部が構成の削平をうけ、埋葬主体部が残存していなかったが、土師器類が出土した。
  • 2号墳は、直径15.6mの円墳。幅1.3m~2.3mの周溝をもつ。墳丘上部が構成の削平をうけ、埋葬主体部が残存していなかったが、土師器類が出土した。
  • 3号墳は、一辺9.5mの方墳。唯一の方墳だが、四辺に外側に張り出す円みをもち「胴張隅円方墳」と形容される。幅1.1m~1.8mの周溝をもち、周溝覆土から土師器類が出土した。埋葬主体部が残存しており、箱形木棺から布に巻かれた直刀が出土した。
  • 4号墳は、直径13.5mの円墳。幅0.9m~2.5mの周溝をもつ。周溝からは土師器類が出土した。埋葬主体部が残存しており、粘土槨内に割竹形木棺から鉄鏃刀子が出土した[8]

なお、確実な古墳は上記の円墳3基・方墳1基からなる4基だが、古墳群の立地する尾根筋北側の台地に広がる、縄文時代環状集落を主体とする大熊仲町遺跡(おおくまなかまちいせき)の遺跡範囲内で、当古墳群に隣接する地点で円形の周溝が検出されており、これが古墳跡であれば、本来5基で構成されていた可能性もある[9]

当古墳群を築造したのは、大熊川を挟んで南の対岸に存在した東原遺跡の集落(横浜市立折本小学校内)を営んだ集団の長と見られ、矢崎山古墳の被葬者のように5世紀後半段階で鶴見川・早渕川流域に勢力を伸ばした新興首長墓と考えられている[10]

脚注

参考文献

関連項目

画像外部リンク
横浜市行政地図情報提供システム「文化財ハマSite」

座標: 北緯35度31分52.5秒 東経139度35分42.5秒 / 北緯35.531250度 東経139.595139度 / 35.531250; 139.595139




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