三木映画社
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「三木茂 (撮影監督)」の記事における「三木映画社」の解説
1945年11月15日三木映画社設立。同社現像所に原爆記録フィルムの一部を秘匿する。 この時期に関与した作品1947年、脚本・演出・撮影した『株の民主化』がコンクールで受賞。同年、秋元憲監督『20年後の東京』(企画:東京都都市計画課、製作:財団法人日本観光映画社、線画:日本漫画映画株式会社、提供:東京都)で撮影と現像を担当。 1948年、短編映画 『新しい教室』(日本映画社)で製作と撮影。 1951年、『社会科教材映画大系 火事をなくする仕組』(三木映画社)。 1952年、『警察の仕事』(三木映画社)。 1953年、『こどもを守るもの』(三木映画社)、『電信のはたらき』(三木映画社)。 1955年、『社会科映画シリーズ 漁村のくらし』(三木映画社)監督・製作・脚本・撮影。『問屋のしごと』(三木映画社)監督・製作・脚本・撮影。『漁村のくらし』(三木映画社)監督・製作・脚本・撮影。 1956年、丸山章治脚本・監督『コトバと態度』(三木映画社)製作・撮影。 1957年、丸山章治監督・脚本『誰かがやるだろう』(20分、三木映画社)製作・撮影。 1958年、栃木県足利市でロケした「女のくらし」(三木映画社)。丸山章治監督『叱るもの叱られるもの』(19分、日本映画新社・三木映画社) 1959年、『エチケット—これからの礼儀作法—』(三木映画社)演出・撮影。
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