一日不作、一日不食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 07:40 UTC 版)
百丈による教え。「一日作さざれば一日食らわず」、出家者にとって労働は一番重要な修行とし、労働しないなら食べることは出来ない、同時に労働することを通して豊かな人間性も育まれていく、という自らを律した自発的な言葉。 「一日不作」の「作」は、作務すなわち労働のこと。百丈が高齢の時も、毎日の食物は自ら生産し、日々の耕作労働を率先していた。弟子たちが、見かねて農具を隠して休息を願った。百丈は農具を探したが見つからず、その日の食事をとらなかった。弟子たちは師匠に、「なぜ食事を召し上がっていただけないのですか?」と尋ねた。百丈が「一日作さざれば一日食らわず」と答えた。以後、弟子たちは師匠の労働を止めることがなかったという。 インドの大乗仏教と小乗仏教では、出家者が自らの労働を戒律で堅く禁じられていた。そのため出家者は托鉢乞食(こつじき)や信者からの布施だけに頼っていた。仏教が中国に伝播してきた頃はその戒律が守られていたが、出家者が急増し管理不達のため社会秩序への悪影響が深刻となり、さらに唐代中期以後、朝廷による僧侶淘汰命令が発され、貴族からの布施が途絶え寺院経営が成り立たなくなっていた。出家者たちは、やむを得ず生活の手段として耕作労働をするようになり、思想面の混乱が続いた。その時に、百丈は革命的にそれまでのインド仏教の戒律と、当時中国の環境および習俗などを折衷し改革を行った。労働こそは"仏のはからい″であり"仏のすがた″であり、労働は一番重要な修行であることとして解釈を改め、中国特色の戒律改革を唱えた。これにより百丈が中国の国情に根付いた仏教教団の集団規則(清規)を制定し、その新しい戒律集の集大成が『百丈清規』として、仏教の後世への発展に繋がったと言われる。禅宗で初めて清規を定めたのが百丈だと言われる。
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