ヴェッテラ=マイン=タウバー=シュテルング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/02 07:36 UTC 版)
「フライゲリヒト」の記事における「ヴェッテラ=マイン=タウバー=シュテルング」の解説
自然の溝に沿って造られた壁が、ベルンバッハ、ホルバッハ、ノイゼス近郊を通っていた。これがヴェッテラ=マイン=タウバー=シュテルングである。その傍に、ヴェルサイユ条約の結果1930年代に造られたトーチカがあった。これは、軍事的に衰退したドイツ帝国へのフランスの攻撃を遅らせるためのものであった。この頃ドイツ陸軍は10万人までと制限されていたのである。この場所は、ネッカー=エルツ=シュテルング(エーバーバッハとシュヴァルツヴァルトの支脈との間)とともにドイツ侵攻の最速経路にあたった。1936年春から1938年夏の建設期間中、合わせて 308のトーチカ、櫓のための基礎スラブが 21基建設された。キンツィヒタールとカールタールに、対戦車用の水堀が 2本掘られた。また、何列も杭の障害物を並べた対戦車バリケードが、ハイン=グリュンダウ、メーアホルツ、ベルンバッハ、ホルバッハ、アルテンミットラウ、ノイゼスの 6カ所に設けられた。フライゲリヒト町内にも約 45 のトーチカ、3つの機関銃掃射用櫓の基礎スラブ、全部で6カ所しかない対戦車バリケードの内の 4カ所が建設された。この部分が、全施設の中で最も建造物の密度が高い箇所である。施設沿い数 m ごとに建造物がある状態であった。建設工事完了直後、すべての建物は、その設備を剥奪された。後のヴェストヴァルの建設に必要となったためである。その後、建物は空っぽのままであった。この施設はその意義を完全に失った。1944年の秋、この施設は侵攻するアメリカ軍に対して初めて役だった。しかし、設備、器具、訓練された要員の不足から、この施設が障害となったのは、ほんの短い時間に過ぎなかった。戦後ほぼすべての建物が破壊された。
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