ヴィエリチカ岩塩坑の発見とは? わかりやすく解説

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ヴィエリチカ岩塩坑の発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 14:56 UTC 版)

キンガ (ポーランド王妃)」の記事における「ヴィエリチカ岩塩坑の発見」の解説

キンガ若いころ一生祈り慈善活動ささげる決心をしていた。ボレスワフとの婚約決まったとき、一生独身でいるつもりであったキンガ気乗りがしなかった。あるとき彼女はハンガリー王国のマラムレシュ(現ルーマニア領)の岩塩坑中に婚約指輪放り投げて捨ててしまった。しかし結婚両国政治によって成立しキンガポーランドへ移ることとなった。 彼女がポーランド嫁いでから10年ほどしたある日のこと首都クラクフ郊外の、当時はごく小さな岩塩採掘所のあったヴィエリチカより「たいへんりっぱな指輪見つかった。これは王室女性のものに違いない。」という一報入った記録によればヴィエリチカでの岩塩採掘遅くとも1044年には土地有力者により行われていた。当時ポーランド岩塩輸入国で、その輸入元は主にハンガリー王国であった。そのハンガリーから運ばれてきた岩塩ヴィエリチカにある倉庫貯蔵されていた。 キンガ確認のためにヴィエリチカへと向かった現地でその土地代表者より指輪見せられキンガびっくり仰天した。なんとその指輪以前キンガ自身故郷ハンガリーでマラムレシュ岩塩坑中に放り込んで捨てた指輪そのものだったのだ。ポーランドがマラムレシュより輸入していた岩塩一時置き場ヴィエリチカにあり、その岩塩の山の中から指輪見つかったのである。 これを単なる偶然ではありえない信じたポーランド王室は、国のプロジェクトとして本格的にヴィエリチカ地中掘り進んでみた。すると、果たし途方もない規模岩塩床が見つかったのである1250年ポーランド王国はこの岩塩床からの塩の採掘王立事業とし、大規模な投資行って事業再編成したその後王国はこの塩の輸出莫大な利益をあげつづけて行くこととなった当時、同じ重さ岩塩と金は同じ価値があった。ヨーロッパ最大岩塩坑、または世界最古企業ひとつとして有名なヴィエリチカ岩塩坑国営化逸話である。

※この「ヴィエリチカ岩塩坑の発見」の解説は、「キンガ (ポーランド王妃)」の解説の一部です。
「ヴィエリチカ岩塩坑の発見」を含む「キンガ (ポーランド王妃)」の記事については、「キンガ (ポーランド王妃)」の概要を参照ください。

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