ロード・ボンバー・プロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 03:24 UTC 版)
「ヤマハ・SR」の記事における「ロード・ボンバー・プロジェクト」の解説
個人製作のロード・ボンバー(愛称:IX)は当然ながらナンバーは取れず、公道を走ることができないが「バイクはパワーじゃない、操縦性だ!」というコンセプトを証明すべく、保安部品も外さないスタンダード状態のまま1977年の鈴鹿6時間耐久ロードレースに出場し、完走。総合18位であった。 ヤマハからSRが発売された翌1978年の鈴鹿8時間耐久ロードレースにもサーキット走行に合わせて仕様の変更を加えたIX改で参戦した。4気筒のハイパワーマシンや、2ストローク大排気量車の中にあって、「勝算は全くない」「よせばいいのに」と酷評されたものの[誰によって?]、それらの車に伍して安定して走り、総合8位に入賞した。 さらに翌1979年はフレームから新規に設計し、ホンダのオフロードモデル・XL500Sのエンジンを搭載した全くの新型、ロード・ボンバーIIXことSHIMA498H(498は排気量でHはホンダの意)で鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦。ゴールの1時間50秒前までは総合7位だったが、ブレーキ故障で転倒したため最終的には総合33位となった。 「ヤマハ・XT500」も参照 「非力だが、軽量で操縦性が良いバイク」は、この入賞からひとつの時代を築き始めた。ユーザーの願いがトレンドになった例として、ロード・ボンバーとSRの物語は、日本のバイク史上特筆すべきもの、という意見がある[誰によって?]
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