ロシア帝国とソ連のクリミア支配まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:23 UTC 版)
「2014年クリミア危機」の記事における「ロシア帝国とソ連のクリミア支配まで」の解説
1783年にクリミア・ハン国がロシア帝国によって征服され、クリミア半島にロシア人、ウクライナ人等のスラブ人が入植し始め、旧クリミア・ハン国の多数派だったクリミア・タタール人の人口が徐々に減少した。この時代のクリミアはスラブ系民族やタタール人のほかにもギリシャ人、アルメニア人、ユダヤ人、ドイツ人などが暮らすロシア帝国内の多民族地域であり、20世紀まではロシア人は多数派にならなかった。クリミアはロシア帝国の時代にロシア・ロマン主義(英語版)(en:Romanticism#Russia)の中心となり、ソビエト時代も保養地として人々を惹きつけた。 クリミアは1921年にクリミア自治ソビエト社会主義共和国となり、第二次世界大戦中にヨシフ・スターリンによるクリミア・タタール人の強制移住が行われ、同共和国が廃止される1945年までロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の中で自治権を有した。 1954年、ニキータ・フルシチョフの指導下のソ連の主導でロシアのクリミア州からウクライナへの帰属替えが行われた(ロシアのクリミア州からウクライナへの移管(ロシア語版、英語版))。当時はこれは取るに足らない「象徴的ジェスチャー」であった。なぜなら両国ともソ連を構成する共和国だったからである。ソ連が存在した最後の年である1991年の住民投票(英語版)によって、1945年以前の自治が復活した。 2001年国勢調査によるクリミア半島の民族割合
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