ロクリでの法務官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 17:58 UTC 版)
「クィントゥス・ミヌキウス・ルフス」の記事における「ロクリでの法務官」の解説
ルフスは紀元前200年に法務官(プラエトル)に就任してインペリウムを与えられると、ブルッティウム(現在のカラブリア州)に割り当てられ、ロクリのプロセルピナ神殿の略奪事件の捜査を行った。翌紀元前199年にもプロプラエトルとしてルフスのインペリウムは延長され、この冒涜事件の継続調査を実施した。この年にはいくつかの悪い予兆が発生した。ルフスも5フィートの仔馬、3フィートの鶏が生まれたことを報告している。 歴史学者コリー・ブレナン(en)は、その著書『共和政時代のプラエトル』の中で、ブルッティウムでの犯罪追訴は、その地域での「反乱要素」の排除・抑制に有効な手段であったと推測している。ブルッティウムは激しい反乱の末にローマに征服されて間もなかった。ルフスの任務は「ブルッティウム人のconiuratioの要求」を終息させることであった。この時期に、coniuratioという単語には複数の意味が含まれていた。即ち、儀式的な宣誓あるいは政治的共謀の双方を意味した。13年後の紀元前186年「バッカス祭」(祭りの集会において全ての犯罪や政治的陰謀を許容した)の禁止布告が出されたことが、ティトゥス・リウィウスと元老院の青銅碑文に記録されているが、ここにも一連のconiuratioの記述があり、宗教儀式と政治的な反対運動の関連が示唆されている。ルフスが逮捕した人物はローマに送られ、その後ロクリに戻されて、元老院の支持に従って神殿から強奪した資産を返却させられた。
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