ロクリスとペロポンネソス戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 18:43 UTC 版)
「ロクリスのティマイオス」の記事における「ロクリスとペロポンネソス戦争」の解説
出身地であるゼピュリオンのロクリス(Lokris, エトルリア語ではロクロイ Lokroi、ラテン語ではロクリ Locri)は、紀元前673年頃にギリシア本土の東ロクリスの貴族達がイタリア半島南端に近い東海岸に建設したと伝えられる殖民都市である。ペロポンネソス戦争においてはペロポンネソス同盟側に所属しており、紀元前426年以降アテナイがシケリア(シチリア)に干渉すると、ロクリスはシュラクサイと同盟関係を結んでアテナイと戦った。ゲラの会談(紀元前424年)におけるヘルモクラテスの努力によりシケリア諸国家とアテナイの間に和平が成立した後も、ロクリスはアテナイに占領されていたメッセネ(メッシーナ)を奪うなど、戦争を続けたが、紀元前422年頃にアテナイと和平を結んだ。紀元前415年に再びアテナイがシケリアへ干渉すると、ロクリスはアテナイ艦隊の寄港を断り、さらにシュラクサイへ派遣されたスパルタのギュリッポスの艦隊を保護するなど、シュラクサイとスパルタへの協力を行った。紀元前412年以降、エーゲ海にスパルタへの援軍を派遣している。紀元前4世紀に入ると、強大化したシュラクサイの支配を受けることになる。 プラトンの『クリティアス』、『ティマイオス』の対話が現実のものとするなら、シュラクサイのヘルモクラテスとロクリスのティマイオスがアテナイのクリティアス邸へ招待され得る時期は紀元前422年から415年の間に限られる。その中でも包括的な平和条約(ニキアスの和約、紀元前421年3月頃)が成立した紀元前421年の7月頃が設定時期として最有力である。この時プラトンは10歳であり、紀元前415年までの間にティマイオスはプラトンへ学問を教える機会があったかも知れない。
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