ロイヤル・レジデンス
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「バルモラル城」の記事における「ロイヤル・レジデンス」の解説
バルモラルは現在、イギリス王室の離宮となっており、所有者である女王エリザベス2世とその夫であるエディンバラ公フィリップはじめ王室一家が毎年夏の避暑地としている。サー・ロバート・ゴードン(1830年から1847年に自身が死去するまで、彼は城を賃貸させていた)が女王ヴィクトリアと王配アルバートに委託するかたちで、王室の邸宅として1848年から使われるようになった。夫妻はバルモラルの滞在を非常に好み、1852年に30,000ポンド支払って所有権を買った。アルバートはすぐに建築家ウィリアム・スミスと計画を立て15世紀の城を拡張させ、王室にふさわしい新しく大きな城に生まれ変わらせた。1856年に現在の建物が完成。 サンドリンガム・ハウスと同様、バルモラルはロイヤル・エステートの一部ではなく王室の私的財産である。エドワード8世が退位した1936年、彼は自分が相続した私的財産を、自動的に相続放棄しなかった。替わって即位したジョージ6世は、兄エドワードからバルモラルやサンドリンガム・ハウスを明白に買い取らなければならなかった。そのため、2つの王室の邸宅は王室の私的な避難所となったままなのである。 冷戦時代、核戦争が勃発した際の王室の避難所としてバルモラル城の名前が挙げられたことがある。 エリザベス2世は、1997年夏にバルモラルに滞在していた際、ダイアナ元王太子妃のパリでの交通事故死の一報が届き知った。だが彼女はロンドンへ急遽戻ることも、ダイアナに哀悼の意を表すこともしなかったために国民とマスコミによる批判の矢面に立たされた(2006年の映画「クィーン」は、この時の女王を題材にした作品である)。
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ロイヤル・レジデンス
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「サンドリンガム・ハウス」の記事における「ロイヤル・レジデンス」の解説
1862年、当時皇太子のアルバート (後のエドワード7世) のために買い求められた別邸で、翌1863年アルバートとアレクサンドラ・オブ・デンマークが、新婚早々の住居として住んだ。 エドワード7世に次いでジョージ5世もサンドリンガムを好み、1895年ジョージ6世はサンドリンガム・ハウスのヨーク・コテジで生まれた。1905年に生まれたジョン王子はてんかん病状が悪化した晩年は、サンドリンガム・ハウス宮殿敷地内のウッド農場にてガヴァネスとともに暮らしていたという。1915年にドイツ軍のツェッペリン飛行船の爆撃で穴ができたが、ジョージ6世はその穴をアヒルの池にした。 1936年、71歳のジョージ5世はサンドリンガム・ハウスで死亡した。跡を継いだエドワード8世は同年に退位したが、サンドリンガム・ハウスは私的財産であるため、退位後もエドワード8世が所有権を有した。そのため、弟のジョージ6世はバルモラルやサンドリンガム・ハウスを私費で買い取ることになった。。
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