ルーム40の保存文書
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「U35 (潜水艦・初代)」の記事における「ルーム40の保存文書」の解説
以下は英国海軍情報部「ルーム40」にて保存されているU-35の行動記録の逐語訳である。U-35 艦長は1916年1月までコファメルが務め、1918年まではペリエール、その後はフォークト。1914年11月初旬にキールで完成し、1914年11月15日から1915年1月12日まで艦隊で訓練を行った。その後北海に出航し、第2艦隊に加わった。 1915年1月19 - 21日。湾岸哨戒。 ?1915年1月23 - 26日。湾岸哨戒。 1915年2月1日。湾岸哨戒。 1915年3月7 - 20日。ドーバー海峡経由でアイリッシュ海へ航行。 1915年4月29日 - 5月2日。北海。 S.S.1隻撃沈。エンジントラブルで帰投。 1915年5月29日から6月23日。アイルランドの南へのノースアバウト。 S.S.5隻、S.V.9隻撃沈。 1915年8月4 - 23日。ノースアバウトの地中海に向けてS.V.3隻を沈め、1915年8月23日にカタロに入港、カタロ艦隊に加わった。 1915年9月12 - 22日。カタロを離れ、S.S.3隻を沈めた。1つはC・マッタパンの近く、もう1つはクレタ島の南。カタロに戻った。 1915年10月初旬。詳細は不明。 1915年10月30日 - 1915年11月13日。11月5日、地中海東部にてエジプトのHMSタラを含めた11隻のS.V.を沈めた。巡洋艦アッバスと損傷したヌールエルバール、すべてソルム湾。11月8日、フランスの武装船に攻撃された。 1915年12月中旬から1916年1月6日。地中海中部。S.S.5隻を沈め、HMSミモザに対して2発の魚雷を発射した。 16年2月21日? 1916年3月4日。地中海中央で、3隻を沈め、オリンピックを2回攻撃、2月24日にHMSマーガレットと交戦した。 16年3月27日から4月17日。スペインの海域にてS.S.8隻が沈没。 16年6月。今月の航行で、U-35は6月21日にカルタヘナに投入された。S.S.19隻とS.V.21隻を撃沈。 16年7月27日から8月15日。カタロから地中海西部のスペイン海域への航行20日間で、U-35はS.S.29隻、S.V.24隻を沈めた。 17年2月6日から3月2日。地中海西部でS.S.7隻、S.V.6隻を沈めた。 17年3月30日から約5月6日まで。地中海西部でS.S. 3隻、S.V.3隻、もう1隻の商船を沈めた。 17年10月4/5日 - 11月6日。10月13/14日の夜、カタロを出てジブラルタル海峡を通過した。 17年12月7/8日-1918年1月1日。カタロを発ち、12月15日に水上飛行機に爆撃された。12月16/17日の夜にジブラルタル海峡を通過した。 18年2月。U-35はさらに巡航し、26,000トンの沈没が主張されました。この後、彼女の有名な司令官フォン・アルノー・デ・ラ・ペリエールが移籍。エルンスト・フォン・フォークトが艦長を引き継いだ。 18年8月と9月初旬の航行でS.S.3隻を撃沈。 18年10月にキールに戻り、1918年11月27日にハーウィッチに降伏した。 注:S.S. = 蒸気船; S.V. = 帆船; ノースアバウト = スコットランド周辺 ケルバー、ハンス・ヨアヒム(2009)。ルーム40:ドイツ海軍戦争1914-1918。第2巻、現存艦隊。スタインバッハ:LISライニッシュ。 ISBN 978-3-902433-77-0。
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