ループレヒト館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
ループレヒト館(Ruprechtsbau)はプファルツ選帝侯ループレヒト3世にちなんで名付けられた。 ループレヒト3世はプファルツ選帝侯ループレヒト2世の一人息子であった。1398年以降マインツ大司教とともに諸侯筆頭となり、1400年8月20日にドイツ王ヴェンツェルを退位させた。ケルンでの選挙で彼が選出された後、ケルン大司教によって戴冠が執行された。しかし、アーヘンやフランクフルト・アム・マインは彼に門戸を開かず、ドイツ王として承認しなかった。このためループレヒトの活動は狭い範囲に限られた。ループレヒトはハイデルベルク城の現存する最も古い建物を建設した。その後、この建物は、施主の名にちなんでループレヒト館と名付けられた。ハイデルベルク城の現存部分はこれ以降に建設されたものである。彼はこの建物の他、聖霊教会の建設も始めた。 長らく、ハイデルベルク城の歴史はこの建物から始まったと考えられていたが。しかし19世紀末の改修工事の際に行われた大規模な考古学研究によりロマネスク様式および初期ゴシック様式の窓の断片が発見された。これにより城館の造営開始は1300年頃とされている。 1534年、ルートヴィヒ5世によってループレヒト館に石造の上階が増築された。前面の壁段や建物内の1534という年号は現在でもその改築を伝えている。 この建物の入り口の上には天使の像が掲げられている。これは館の主の目印であり、こうした方法で後世の人々にそれを伝えていると推測されている。また、この二人の天使は建設作業中に足場から転落して命を落とした建築家の息子をモデルにしたという伝承がある。このために建築家は憂鬱症となり、建設は行き詰まってしまったという。 ループレヒト3世は1400年にドイツ王ループレヒトとして戴冠し、この建物を主たる居館に定めた。このためループレヒト館には帝国鷲の紋章が掲げられ、王の居館であることを示している。ループレヒト館の中にはルネサンス様式の暖炉があるが、これは現存する数少ない内装構造のひとつである。
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