リリー・エルベ
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「ゲルダ・ヴィーグナー」の記事における「リリー・エルベ」の解説
詳細は「リリー・エルベ」を参照 ウィキメディア・コモンズには、リリー・エルベに関連するカテゴリがあります。 ゲルダはデンマーク王立美術院で、同じく生徒だったアイナー・ヴィーグナー(後のリリー・エルベ、1882年 - 1931年)と出会い、ゲルダ18歳・アイナー22歳の1904年に結婚した。ふたりはイタリアやフランスを旅した後、1912年にパリへ落ち着いた。夫婦は当時流行していたボヘミアニズムに没頭し、多くの芸術家・踊り子・芸術界の人物と交流したほか、カーニバルなどの祭りによく参加した。 当時アイナーは、ゲルダよりも才能のある芸術家と見なされていたが、自分の作品や評価を投げ打って、ゲルダの追求する芸術を助けるようになった。ある日、絵のモデルが現れなかったため、ゲルダはアイナーへ女物の服を着てモデルになってほしいと頼んだ。彼女はストッキングとヒールを履いて足の部分のモデルをしてほしいと頼んだが、アイナーはこの時女物の服が驚くほど自分に合うように感じて、「リリー・エルベ」(丁: "Lili Elbe")としての人格を受け入れたという。 リリー・エルベはゲルダにとってお気に入りのモデルとなり、ゲルダ自身も、粋な服装に身を包みアーモンド型の眼をした女性を描く人物として、画壇で有名になった。1913年に、ゲルダの絵画の源となっていたファム・ファタールが、実は夫アイナーだったと明かされた時には、芸術界に衝撃が走った。この生活を続けるうち、アイナーはリリー・エルベとして過ごす時間が長くなるようになったが、ゲルダ自身もレズビアンであることを公にしており、あまり問題は感じなかったとされている(ただし彼女が本当にレズビアンだったかどうかに関しては議論の余地がある)。 アイナーは次第に、自分をトランスジェンダーの女性だと認識するようになり、男性との交際も始めた。アイナーは、リリー・エルベという新しい名前で数年間独居した後、1930年に記録上初めてとされる性別適合手術を受けた。ゲルダは一般の場で、女性用の服を着たエルベを、夫アイナーの姉妹だと紹介していた。ふたりには、性別適合手術前の1930年10月に、当時のデンマーク国王クリスチャン10世によって婚姻無効が言い渡されたが、ゲルダはその後の手術を支え続けた。エルベは1931年に、手術の合併症(拒絶反応)により亡くなった。 1929年のアイナー・ヴィーグナー ゲルダが描いたリリー・エルベ 1930年のリリー・エルベ
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