リキエルとは? わかりやすく解説

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リキエル

名前 Rykiel

ソニア・リキエル

(リキエル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/04 07:33 UTC 版)

ソニア・リキエル
Sonia Rykiel
ソニア・リキエル
誕生 Sonia Flis
1930年5月25日
フランス共和国 ヌイイ=シュル=セーヌ
死没 (2016-08-25) 2016年8月25日(86歳没)
フランス パリ
職業 ファッション・デザイナー
国籍 フランス
主な受賞歴 レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)
国家功労勲章(グラントフィシエ)
芸術文化勲章
公式サイト 公式ウェブサイト
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ソニア・リキエル(Sonia Rykiel, 1930年5月25日 - 2016年8月25日[1])は、フランスファッションデザイナー

略歴

パリ西部近郊ヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。ユダヤ人の血をひく家系で、父はルーマニア出身の時計職人、母はロシア出身という中流ブルジョワ家庭で育った。17歳の時、パリの服飾生地販売店に就職し、ウインドーディスプレイを担当していた。

1954年にブティック経営者のサム・リキエルと結婚。妊娠中、着たいようなマタニティウェアがなかったので、自らセーターを作ったのがデザイナーになったきっかけであった。このセーターがやがて人気となり、パリ14区のアレジア通り沿いにある現店舗に程近い、ジェネラル・ルクレール大通り (Avenue du Général Leclerc) 104番地にあるサムの店舗で販売するようになった。「Poor boy sweater」(貧しい少年のセーター)と呼ばれたこのセーターは、雑誌『ELLE』に取り上げられ、またオードリー・ヘップバーンは14色のセーターを全色買い求めた。

1968年5月、自らメゾンを立ち上げ、名前と同名のブランドを持つ。普段着だったニット(セーターないしプルオーバー)、特に少年らが着ていたそれを、ボーダー柄スパンコールなど[2]をあしらうことでファッショナブルに変貌させ、「ニットの女王」の異名をとった[3]パリ6区グルネル通りに第1号店を開いてから、子供服化粧品紳士服と次々と事業を拡大。80歳を過ぎても現役であった。娘のナタリーもアートディレクターとして参加している。なお、メゾンについては、2012年に株式を香港商社リー&フォン傘下の投資会社を中心とするグループに売却した[4]

1983年フランス文化省から芸術文化勲章を受勲した。晩年はパーキンソン病を患っており、この病の合併症により2016年8月25日午前5時、パリの自宅で亡くなった[5]。86歳没。遺体はモンパルナス墓地に葬られている。

没後

ソニア・リキエル通りの標識(パリ6区

2018年、パリ市内の一角にブランド設立50周年を記念して、生前の功績を称え、彼女の名前を冠したソニア・リキエル通りが誕生した。

一方で、彼女の死をきっかけに、ソニア・リキエル社は業績不振がさらに悪化。2019年3月には、ルイ・ヴィトンを経て2014年からクリエイティブ・ディレクターを務めていたジェリー・ドゥ・リブラン英語版が退社[4][6]。4月30日、ソニア・リキエル社は再建型破産手続きを申請し、管財人の管理下に置かれることになった。しかし、期限までにスポンサー候補との間で条件面での折り合いがつかなかったため、同年7月25日、フランス商事裁判所はソニア・リキエル社の清算を決定[2]。2019年12月、フランス人実業家の兄弟エリックとミシェル・ダイヨンがソニア・リキエル社を買収し、2020年10月から商品の販売を再開した[7]が、ブランドの再建に苦心していた[3]ところ、2021年DKNYダナ キャランなどのブランドを傘下に抱えるG-III Apparel Groupがダイヨン兄弟から買収した[3]

ブランド

ソニア・リキエルがデザインした婦人服
  • ソニア・リキエル - ファーストライン婦人服
  • ソニア・リキエル・アンファン - 子供服
  • ソニア・バイ・ソニア・リキエル - カジュアルライン婦人服
  • ソニア・リキエル ボーテ - 化粧品。以前は「ソニア・リキエル コスメティックス」「ソニア・リキエル ナイト&デイ」という呼称だった。日本の化粧品会社アルビオンと提携、1987年に発売を開始した[8]
  • リキエル・オム - 紳士服

日本での展開

日本では1980年代、セゾングループのエルビスが輸入販売を手掛けていた[9]。その後オンワードグローバルファッション (OGF) が総代理店となっていたが、ミッソーニと共に2017-2018年秋冬コレクションで終了[10]。ソニア・リキエル・ジャポンをソニア・リキエル社の直接子会社とした上で、2018年春夏コレクションから独自の展開を開始した[11]アクセサリーの強化などを通じてブランド活性化に取り組んだ[12]が、清算決定に伴い2019年7月末をもって終了[2]。「ソニア・バイ・ソニア・リキエル」も同じくOGFが取り扱っていたが、こちらも2017-18秋冬コレクションが最後となった[10]

オンワード樫山ライセンスで手掛けるブランド「ソニア・リキエル コレクション (SONIA RYKIEL COLLECTION)」についても、2018-19秋冬コレクションを最後に終了した[2][13]

「ソニア・リキエル ボーテ」については、アルビオンがライセンス契約を2014年12月31日で打ち切ったため、同年度末に販売を終了した[8]

日本語書籍

脚注

  1. ^ INC, SANKEI DIGITAL. “「ニットの女王」ソニア・リキエルさん死去 仏デザイナー”. 産経ニュース. 2020年1月26日閲覧。
  2. ^ a b c d “「ソニア リキエル」、身売り先がなく清算へ 店舗も即日閉店”. WWD JAPAN. (2019年7月26日). https://www.wwdjapan.com/articles/905616 2019年7月28日閲覧。 
  3. ^ a b c “「DKNY」親会社が「ソニア リキエル」を買収”. WWD Japan. (2021年9月24日). https://www.wwdjapan.com/articles/1263109 2021年9月25日閲覧。 
  4. ^ a b “「ソニア・リキエル」が破産 身売り先探しへ”. FASHION NETWORK. (2019年5月1日). https://jp.fashionnetwork.com/news/-ソニア-リキエル-が破産-身売り先探しへ,1094528.html 2019年7月28日閲覧。 
  5. ^ "La reine du tricot" Sonia Rykiel est morte à l'âge de 86 ans」france info 25/08/2016
  6. ^ “「ソニア リキエル」のディレクターが突如ブランドを去る 会社は新たな投資家を探す”. WWD JAPAN. (2019年3月15日). https://www.wwdjapan.com/articles/828102 2019年7月28日閲覧。 
  7. ^ JUN YABUNO (2021年8月19日). “「ソニア リキエル」が再始動 新オーナー兄弟が語る今後の展望”. WWD JAPAN. https://www.wwdjapan.com/articles/1246169 2021年8月28日閲覧。 
  8. ^ a b “「ソニア リキエル ボーテ」の製造・販売を終了 アルビオンがライセンス契約を打ち切り”. WWD JAPAN. (2014年7月25日). https://www.wwdjapan.com/articles/183508 2019年7月28日閲覧。 
  9. ^ 橋本雅彦 (2019年8月1日). “France|「グッチ」「シャネル」が年商1兆円時代を迎えて ソニア・リキエル社廃業が暗示するデザイナーブランドの危機”. SEVENTIE TWO. https://www.seventietwo.com/ja/business/SoniaRykielclosedown 2019年8月31日閲覧。 
  10. ^ a b オンワードが「ソニア リキエル」の輸入販売を終了 WWD 2017年7月31日
  11. ^ “ソニア リキエル ジャポン本格始動 敏腕ラグジュアリー経営者傘下に”. WWD JAPAN. (2017年9月12日). https://www.wwdjapan.com/articles/469795 2019年7月28日閲覧。 
  12. ^ “【トップに聞く】ファーストヘリテージブランド ルビエ社長兼CEO”. 繊研新聞電子版. (2017年11月5日). https://senken.co.jp/posts/firstheritagebrands-ceo 2019年7月28日閲覧。 
  13. ^ “ブランド終了のご挨拶 - ニュース - ソニア リキエル コレクション公式サイト”. オンワード樫山. (2018年11月19日). https://www.onward.co.jp/soniarykielcollection/news/post-1.html 2019年7月28日閲覧。 

関連項目

  • フーセンウサギ - ソニア・リキエル・アンファンの日本での製造を行っていた。

外部リンク


リキエル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 16:25 UTC 版)

薔薇のマリア」の記事における「リキエル」の解説

昼飯時」結成時からのメンバー。アザナエル人(だと思われる)。筋骨隆々仮面の男真冬であっても上半身裸で外で筋トレをする非常識な面もあるが、性格常識的かつ博識思慮深いアジアン敗北してからは信仰する彷徨える星神ワンダリングソオル」に、アジアンのためにその命を使うと誓い立てた

※この「リキエル」の解説は、「薔薇のマリア」の解説の一部です。
「リキエル」を含む「薔薇のマリア」の記事については、「薔薇のマリア」の概要を参照ください。

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