ラテンアメリカでの展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:26 UTC 版)
「コーヒーの歴史」の記事における「ラテンアメリカでの展開」の解説
ブラジルを除くラテンアメリカ各国では、小規模生産によるコーヒーの栽培が行われる。 1821年に独立したコスタリカは経済的自立を達成するためコーヒー栽培に力を入れ、サンホセでは住民に土地と苗木を配布してコーヒー栽培が推奨された。コスタリカのコーヒー農園では労働者の自給用の食糧も栽培されており、コスタリカのコーヒー栽培はブラジルなどのコーヒー生産国に見られるモノカルチャーとは異なる傾向を見せている点に特徴がある。コスタリカは低価格のコーヒーを輸出するブラジルとの競争を避けて高品質のコーヒーの生産に特化し、コスタリカで生産されたコーヒーはヨーロッパで人気を得る。1920年代からアメリカへのコスタリカ・コーヒーの輸出量は増加、第二次世界大戦後のコスタリカ・コーヒーはアメリカを主要な市場とし、なおコスタリカのコーヒーの品質は高い評価を受けている。 コロンビアには、18世紀末から19世紀初頭にかけての期間にコーヒーが伝わった。19世紀半ばのコロンビアでは内陸部のサンタンデール地域でコーヒー栽培が行われていたが、コーヒー産業はブラジル、コスタリカに後れを取っていた。1870年代に世界規模のコーヒー需要の高まりが起きると、サンタンデル、クンディナマルカ県、アンティオキア県でコーヒー栽培が活発化する。コロンビアではコスタリカよりも品質が高いコーヒーを大量に生産することが目標とされ、1870年代から1910年代にかけて、コロンビアにも周辺国より遅れてのコーヒー産業の拡大期が訪れた。コスタリカと同様にコロンビアのコーヒー農園ではコーヒー以外の作物も栽培され、それらは労働者の食糧や売買に充てられた。20世紀初頭にはコロンビアのコーヒーの品質は国際市場で高い評価を受けるようになり、コーヒー産業は輸出産業として確立された。コロンビアでは品種改良が盛んに行われ、直射日光に強い耐性を持つ「コロンビア」などの新品種が開発されている。 グアテマラではラファエル・カレーラによって、コチニールに代わる商品としてコーヒーの栽培が開始された。グアテマラでのコーヒー栽培では先住民であるインディオが酷使され、反乱、農地からの逃亡が頻発した。19世紀末にグアテマラに増加したドイツ系移民は大規模なコーヒー農園を開き、彼らによって近代的な技術がもたらされる。
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