ラテンアメリカでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 22:53 UTC 版)
「イヴァン・イリイチ」の記事における「ラテンアメリカでの活動」の解説
1956年、アメリカでの活動が認められると、当時30歳のイリイチは、プエルトリコのカトリック大学の副学長に任じられる。しかし、南米での解放の神学などの運動に共感を抱き、リベラル・カトリックとしての活動を始める。1950年代末には、プエルトリコでのキリスト教の党結成に反対したり、後にメキシコに移ると、1961年には当地のモレロス州クエルナバカに国際文化形成センター (CIF) を設立し、法皇命の宣教師派遣を食い止めようとする運動を展開するなど、バチカンに対して批判的な姿勢を見せるようになる。当時のイリイチは、カミロ・シエンフェゴス、エルデル・カマラと並ぶ三大ラディカル者と称されていた。 同センターの活動は順調に続き、1967年に、ラテンアメリカと産業制度を研究する場「国際文化情報センター」 (CIDOC) へと改組された。このセンターでは、日本からも山本哲士が参加するなど、世界的な知の交流が行なわれた。センターは1976年に閉鎖したが、その後も、メキシコ人スタッフが設立したクエルナバカ・ランゲージ・スクールでイリイチのセミナーは続けられた。
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