ラジオ新潟による実況中継
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:08 UTC 版)
「新潟大火 (1955年)」の記事における「ラジオ新潟による実況中継」の解説
当時中心部の大和新潟店7階にはラジオ新潟(現在のBSN新潟放送)の本社及びスタジオがあり、当時は未明で本来放送休止のところ、30分毎に台風情報を随時伝えるため送信を継続しており、情報の合間にはフィラー音楽を演奏していた。 出火の一報を受け、ラジオ新潟は、アナウンサー(当時)の丹羽国夫らスタッフが、急遽大和屋上からの臨時生中継を敢行する事になった。強風に煽られないよう、丹羽は自らの全身をマイクのコードで金網に括りつけて固定した上で、午前4時15分頃に中継が開始され、ラジオを通じて市内中心部の惨状が市民に伝えられた。 火の手は午前4時頃、既に古町界隈に達していた。西堀通を挟んで向かい側の新潟市役所(2017年現在NEXT21が立地している場所)や、柾谷小路を挟んで斜め向かいの小林百貨店(のちの新潟三越、2020年閉店)や正面の住友銀行新潟支店(のちの三井住友銀行新潟北支店、店舗統合により撤去され、現在は国際調理製菓専門学校が立地している)など、周辺の建物から次々と火の手が上がり始めた。 丹羽はマイクを握り締め、眉を熱風に焼かれながら実況中継を行っていたが、小林百貨店から出火した知らせを受け「小林デパートから火が出ました。では・・・実況を・・・この辺で打ち切る事にします。危険ですからこの辺で実況を打ち切ります。」と放送した後、午前4時35分を以って中継を打ち切り、スタッフは全員退避した。その15分後に大和からも出火し、ラジオ新潟の社屋もろとも全焼した。 ラジオ新潟は本社からの実況中継と並行して、郊外の同市網川原(現在の中央区美咲町)地内にある送信所において、臨時スタジオの準備を進めていた。これは本社の自家発電設備が不安定だったことから、電源が安定している網川原送信所からも随時台風関連の情報を放送できるよう、アナウンサーやスタッフを配置するなど体制を整えていたためで、本社からの中継音声が途切れた約1分後には網川原からの再開第一声が発せられ、火災の状況や避難指示などが引き続き伝えられた。
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