ラオコーン論争とは? わかりやすく解説

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ラオコオン論争

(ラオコーン論争 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 21:34 UTC 版)

ラオコオン論争は、視覚芸術をめぐって18世紀のドイツを中心としたヨーロッパで行われた議論である。論争の発端となった者はドイツの詩人思想家ゴットホールト・エフライム・レッシングで、その論争は、絵画彫刻など視覚的な芸術を「空間芸術」と定義し、文学や舞台など視覚以外の要素が混然とした芸術(時間芸術)から区別することにつながった[1][2]




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ラオコーン論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 20:17 UTC 版)

ラオコーン像」の記事における「ラオコーン論争」の解説

プリニウスは『ラオコーン像』のことを「あらゆる絵画・彫刻作品なかでもっとも好まれている」とし、すべての芸術作品の中では彫刻がもっと優れているという、伝統的な考えもたらしてきた。18世紀ドイツ人美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは、本来厭わしいはずの衰弱と死の瞬間捉えたこの彫刻賞賛されている矛盾文章にした。これに対して論争起こったが、もっとも影響大きかったのはゴットホルト・エフライム・レッシングの『Laocoon: An Essay on the Limits of Painting and Poetr』であり、この彫刻ウェルギリウス詩文とを比較することによって視覚芸術言語芸術との違い検証したレッシングは、この彫刻作成した芸術家たちはラオコーン現実的な肉体的苦痛表現しきれてはいない、死に至るような苦痛はもっと激しいものであり、目に見えるものとして表現できるものではないとした。そして、芸術家たちは美としての苦痛表現しているのだと主張した。 この論争でもっとも異質な介入をしたのは、イギリス版画家詩人ウィリアム・ブレイク版画である。落書きのように様々な方向書かれた数ヶ国語文章が、『ラオコーン像のまわり取り囲んだ版画である。ブレイクは『ラオコーン像』をイスラエル王国オリジナルコピーした出来の悪い彫刻だとし、「3人のロドス人がソロモン神殿ヤハウェとその二人の息子であるサタンアダム彫刻コピーした」などと書いている。ブレイク意見では、古代ギリシア・ローマ時代模倣創造活動には害悪でしかなく、ユダヤ教とキリスト教精神背景にした芸術との比較において古代彫刻陳腐な写実主義に過ぎないとした。

※この「ラオコーン論争」の解説は、「ラオコーン像」の解説の一部です。
「ラオコーン論争」を含む「ラオコーン像」の記事については、「ラオコーン像」の概要を参照ください。

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