ライレー自転車会社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/26 03:54 UTC 版)
英国コヴェントリーで ボニック・サイクル・カンパニー(Bonnick Cycle Company )として創業していた会社を1890年ウィリアム・ライレー・ジュニアが買収し、ライレー・サイクル・カンパニー(Riley Cycle Company )と社名を変更。その後自転車のギアを製造していたスターミー・アーチャー(Sturmey Archer )も買収し、自転車メーカーとしての規模を拡大していった。 機械好きだった息子のパーシー・ライレーは当時まだ10代だったが、遊び半分で出現したばかりの自動車を作り始める。パーシーが作り上げた最初の車は1898年、彼が僅か16歳の時、父親の許可が下りないために内緒で製作したもので、のちに英国自動車産業の町として有名になったコヴェントリーでも最初の自動車だった。 パーシーの製作する車両は1899年にはオートバイから、四輪自転車のプロトタイプにまで発展し、1900年には三輪自動車を販売するまでになった。ただしこの時点ではまだ本格的な自動車会社とはいえなかった。それでも自転車との関連性からオートバイ販売に手を広げるなど、ライレー一家の自動車業界への関わりは深まっていった。 1903年、パーシー・ライレーは同じコヴェントリーでライレー・エンジン・カンパニーを設立。当初はライレーのオートバイ用エンジンの製作を主としていたが、ほどなくして「ライトカー」と呼ばれる小型軽量級の四輪自動車の生産に移行した。V型ツイン搭載のツアラーのプロトタイプを1905年に製作し、この車が一般には最初のライレー製自動車と認定されている。エンジン・カンパニーは翌年拡張、一方1907年に自動車生産に集中することとなって、1911年に自転車生産は終了している。パーシーの道楽から始まった自動車開発が、ビジネスとして軌道に乗り始めたのである。 1912年、ライレー自転車会社はライレー(コヴェントリー)会社と社名を変更した。ウィリアム・ライレーは急速に発展している自動車産業でホイールサプライヤーとなることを決定。脱着容易なセンターノック式のワイヤーホイール開発に取り組んで市場で成功し、業界の先駆者となった。
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