ヨハネ・パウロ1世による改革頓挫と死
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「宗教事業協会」の記事における「ヨハネ・パウロ1世による改革頓挫と死」の解説
1978年8月にローマ教皇に就任したヨハネ・パウロ1世は、就任後に宗教事業協会の不透明な財政についての改革を正式に表明し、その一環として、宗教事業協会の投資運用と資金調達を行う主力行としての業務を行っていたイタリア国立労働銀行の子会社のアンブロシアーノ銀行との関係見直しを表明した。 さらに水面下では、当時の宗教事業協会で、アンブロシアーノ銀行やマフィア、極右秘密結社の「ロッジP2」などとの不明朗な関係が噂されていたアメリカ合衆国人のポール・マルチンクス大司教の更迭を決め、マルチンクス総裁以外にも、宗教事業協会の汚職に関係していたジャン=マリー・ヴィヨ(イタリア語版)国務長官をはじめとする複数のバチカン内部の関係者の更迭を決定し、ヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教などその一部に対して更迭を言い渡していた。 就任後間もないにもかかわらずこの様に大胆な改革を進めたことが、多くのバチカン内の改革派と信者からの支持と喝采(そして対象者とその利害関係者からの抵抗と非難)を受けたが、教皇在位わずか33日目の1978年9月28日の午前4時45分にバチカン内の自室で遺体となって発見された。 急死後にヴィヨ国務長官に対する更迭布告文書がヨハネ・パウロ1世の寝室から紛失したことや、死後直ぐに死体に防腐措置が取られるなど、不可解な証拠隠滅や情報操作が行われた上に、ヨハネ・パウロ1世によるバチカン銀行の改革と自らの追放を恐れていたマルチンクス大司教が、普段は早朝に起床することがないにも関わらず、なぜか当日早朝に教皇の寝室近辺にいたことが判明し、更迭が言い渡されていたヴィヨ国務長官やマルチンクス大司教、そしてマルチンクス大司教と関係の深かった「ロッジP2」のリーチオ・ジェッリ代表、さらにこの2人と関係の深い、アンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取らによる謀殺説が囁かれることになった。
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