ヤクルト監督時代のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 21:47 UTC 版)
「関根潤三」の記事における「ヤクルト監督時代のエピソード」の解説
関根は就任1年目のキャンプで『ブンブン丸』こと池山隆寛に「いいと言うまで止めないこと」と素振りを命令している。その後命令したことをすっかり忘れてしまって喫茶店に行ってしまい、池山は止めるに止められず延々素振りし続けた。 1988年のある試合で、チャンスの場面で関根に交代を告げられた広沢克己が「若松さんか。代打の切り札だから仕方ないかな」と納得してベンチに引き揚げたが、打席に入ったのは長嶋一茂だった。広沢は「なんでオレの代打が一茂なんだよ」とどうにも納得がいかなかったという。一説によると、これは「関根監督本人が長嶋茂雄の大ファンであるから。」というのが理由とされている。 もっとも、池山・広沢は関根にとって思い入れの深い教え子であり、「あのふたりには夢を持てました。練習が楽しみで仕方なかった。極端な話、ゲームなんかどうでもいいほどでした」「彼らを前に押し出すということを意識的にやった」と述懐している。 「ちゃんとした選手は、放っておいても自分で練習して育つ」が持論で、監督やコーチによるフォーム矯正には否定的考えを持っている。 偶然ながら、関根はいずれの年も優勝したチームに負け越す一方で2位のチームには勝ち越していたことから、当時の一部マスコミやファンからは「優勝お助けマン」と揶揄された。 試合中のピンチや投手交代時にマウンドに赴いた際、投手の足を思い切り踏みつけていたことがあった。主な被害者は内藤尚行、川崎憲次郎の2人。ピンチ時には「ここで打たれたら怒るよ」と笑顔で言いながらやっていたという。 1989年の春季キャンプでテスト入団したホアン・アイケルバーガーを入団させた理由をラジオにて、「名前がおもしろくて獲ったんだよねー。なんて言ったっけ? 開幕で暴投してすぐいなくなっちゃった…」と発言したという噂がある。また、関根が若い頃進駐軍にいたアイケルバーガー将軍を連想して獲ったとも。
※この「ヤクルト監督時代のエピソード」の解説は、「関根潤三」の解説の一部です。
「ヤクルト監督時代のエピソード」を含む「関根潤三」の記事については、「関根潤三」の概要を参照ください。
- ヤクルト監督時代のエピソードのページへのリンク