ヤクルト戦での大乱闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:06 UTC 版)
1996年6月29日、ヤクルト戦の古田敦也の打席で嶋田哲也が古田の頭部付近にビーンボール球を4球続けて投げたことで古田が嶋田に激怒し歩みよる。そこで古田を制止しようとした山田に古田が放り上げたバットが山田に当たったことから山田も激高し応酬してしまい、両チーム入り乱れての大乱闘に発展した。山田と古田は乱闘の当事者として退場処分を受け、当試合は警告試合となった。また山田は乱闘で古田に投げられたのと同時に、阪神時代の同僚であったトーマス・オマリーに突進され、ヘンスリー・ミューレンスからはアッパーを喰らう(オマリー、ミューレン共々退場にはなっていない)など悲惨な結果となった。山田曰く、「古田がインサイドをえげつなく投手に要求してくるからその報復の意味もあった」と後に語っている。またこのシーンはこの年の珍プレー番組でも取り上げられた。
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