メフォ手形の実態
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メフォ手形によって調達された資金は、各軍に配分された。ドイツ海軍においては「5月計画」と呼ばれている。軍の支出は1933年の7億4580万ライヒスマルクから、1937年の82億7259万ライヒスマルクと10倍以上になっている。1935年までの時期は、多くの部分がドイツ空軍に渡されたと見られている。1941年に海軍財政局は1933年以降の状態を回顧して、困難がなかったわけではないが、「(資金は)常にほとんど無制限に提供された」としている。 メフォ手形を受け取った企業家の大半は、満期をまたずに民間銀行やライヒスバンクで現金化した。このためメフォ手形の多くは金融市場に流れたが、銀行にとっても有利な投資手形だったメフォ手形は歓迎された。当時の貯蓄銀行の投資総額の30%はメフォ手形への投資に回されていた。満期になったメフォ手形も支払手段として利用され、流通していた。 1937年度までに発行されたメフォ手形の総額は204億ライヒスマルクに達していた。1938年3月10日にライヒ財務省が策定した文書では、120億ライヒスマルクがメフォ手形で創出できる信用の限度であったと明言されている。1937年度を除いてメフォ手形の償還額の決済表示は残っていないが、この年の年末時点で120億ライヒスマルクのメフォ手形が流通していた。これは各軍によって、84億ライヒスマルク分のメフォ手形の早期償還が行われたことによるものであり、1934年から1937年までの陸海軍の会計上の支出は、1937年では39億1850万ライヒスマルクが償還費であるなど、半分近くがメフォ手形償還にあてられるという状態であった。しかしこれは政府が新たに公債を借り換え、その調達資金を償還にあてただけのことであり、政府全体の債務としては残ったままであった。 公債収入と手形償還の推移(単位:100万ライヒスマルク)年度1933年1934年1935年1936年1937年1938年公債収入92.1 1,039.6 2,065.7 3,003.8 3,959.9 7,534.3 メフォ手形の償還- 712.4 979.3 2,799.2 3,918.5 5.2 メフォ手形の流通状況(単位:100万ライヒスマルク)年度1933年1934年1935年1936年1937年1938年1939年年度末流通在高702.4 2,145.0 4,860.0 9,312.0 12,000.0 11,933.0 11,444.0 ライヒスバンク保有の残高(暦年末)60 1,412 3,852 6,305 8,680 11,933 11,448 ライヒスバンク保有の全特殊手形額(暦年末)1,644 3,201 5,460 7,058 9,197 12,426 11,942
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