メフォ手形の導入
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6月上旬、シャハトを中心とする少数の指導者によって、メフォ手形の創出が決定された。1933年8月15日、クルップ、ティッセン(ドイツ語版)、シーメンス、グーテホフヌングスヒュッテ(ドイツ語版)、ドイツ工業企業(ドイツ語版)が20万ライヒスマルクずつ拠出を行い、有限会社・冶金研究協会(ドイツ語: Metallurgische Forschungsgesellschaft m.b.H.、略称:MEFO)が創立された。この会社の役員会はライヒスバンク、国防省、航空省の代表それぞれ一名ずつで構成されており、職員はライヒスバンクからの出向者であるという、事実上のペーパーカンパニーであった。MEFOは創設してまもなく手形の振り出しを開始した。この手形は冶金研究協会の略称MEFOに基づいてメフォ手形と呼ばれる。1934年5月にはティッセンにかわって合同製鋼(ドイツ語版)が出資会社となっている。 この仕組みは、国防省からの受注を行った企業が手形を振り出し、MEFOがその引受人となる。ライヒスバンクはその再割引を保証し、ライヒ政府が支払義務を負うものであった。ライヒスバンクは1924年の銀行法によって、振出人と引受人のみの署名しかない手形を、全手形保有高の33%までしか引き受けられないという規定があった。このため、MEFOと人的に関連のある「工業製品会社」(ドイツ語: Handelsgesellschaft für Industrieerzeugnisse m.b.H.、略称:Hafi)が裏書きを行った。また、最初の手形にくわえて、3ヶ月の延長手形が複数枚発行された。手形の仕組み自体は雇用創出事業の際に取られたものと変わりないものの、支払保証のための国庫証券の発行も行われず、秘密保持のために手形の償還額が予算に計上されることはなかった。 償還開始時期は延長手形によって延長することが出来るが、その時期は1939年第一四半期を超えないこととされた。
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