メアリー・アン・ニコルズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 02:42 UTC 版)
「ホワイトチャペル殺人事件」の記事における「メアリー・アン・ニコルズ」の解説
8月31日金曜日、売春婦のメアリー・アン・ニコルズ(英: Mary Ann Nichols)がホワイトチャペルの裏通りであるバックス・ロー(英語版)(以降、ダーウォード・ストリートに改名)で殺害された。ニコルズの遺体は午前3時45分に堅固な門口の前の地面で、荷車の御者のチャールズ・クロス(英: Charles Cross)により発見された。喉が左から右へ2回切り裂かれていたほか、腹部も切り刻まれており、ぎざぎざとした深い傷ができていた。腹部を走るいくつかの傷は比較的浅めで、腹部の右側にある3、4か所の傷は類似しており、同じナイフで激しく下方向へ切りつけたものだった。この事件はロンドン警視庁の管轄であるJ地区、つまりはベスナル・グリーン(英語版)地区で発生した。最初は地元の刑事が捜査した。同日、ロンドン警視庁のチャールズ・ウォーレン(英語版)(英: Charles Warren)警視総監との不和から、ジェームズ・モンロー(英語版)(英: James Monro)が犯罪捜査部(英語版)(CID)の刑事部長を辞任した。初期捜査はほとんど成功しなかったが、報道機関中の分子が前の2件の殺人と結びつけられ、殺人事件はスミスの事件のようにギャングの犯行の可能性があるという説を出した。一方で、スター(英語版)紙は単独の殺人者の犯行と主張し、ほかの新聞もそれぞれの筋書きで事件を取り上げた。ロンドンを連続殺人者が逃走している疑いから、スコットランドヤード中央局から警部補のフレデリック・アバーライン(英: Frederick Abberline)、ヘンリー・ムーア(英: Henry Moore)、ウォルター・アンドリューズ(英: Walter Andrews)が出向することとなった。バクスター検視官は得られる限りの証拠から、ニコルズは午前3時直後に遺体が発見された場所で殺害されたと結論づけた。バクスターの約言では、ニコルズの殺害がスミスとタブラムの事件と関係している可能性が退けられた。使用された武器が異なるうえに、初期の2件の事件では被害者は喉を切り裂かれていないためである。しかし、ニコルズの検死審問が終わるころまでには4人目の殺人が起きており、バクスターはニコルズの遺体にあった負傷とのかなりの類似性に着目することになる。
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