ムハンマド時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 03:49 UTC 版)
「イスラームと反ユダヤ主義」の記事における「ムハンマド時代」の解説
622年にムハンマドは紛争の調停のためにマディーナに移った。ムハンマドはマディーナのユダヤ教徒に受け入れてもらえると期待していたが、マディーナのラビは嘲ったため、論争が始まった。ムハンマドはモーセら預言者が神の使徒であることを確証した書物をラビたちに提示するよう求めたが、ラビたちは拒否した。こうしてムハンマドはユダヤ教徒は神から与えられた書物を誤解しており、その誤解を正すために神がアラビア語でムハンマドに啓示したと結論した。またムハンマドは、アブラハムはモーセよりはるかに古い世代でありユダヤ教徒ではなかったとし、さらにアブラハムの子イシュマエルはアラブ人の祖先であるとして、ムハンマドは自分をアブラヒムの信仰を受け継ぐ者とした。ムハンマドはモーセとイエスを自分の先輩とみなしたが、現実のユダヤ教徒やキリスト教徒は神の真意を誤解していると批判した。クルアーン第二章ではユダヤ教徒への非難が書かれており、第三章ではキリスト教が批判されている。 マディーナには武装したユダヤ教徒の集落があったが、ムハンマド移住後は無害な集団以外は追放されたか撲滅された。624年のバドルの戦いでメッカ勢力に勝利したムハンマドは同年10月にマディーナのユダヤ教徒のカイヌカーウ族(カイヌカー族)と戦い、追放した。625年のウフドの戦いで敗北したムハンマドは626年3月にユダヤ教徒のナディール族を追放し、彼等の農園を没収した。627年のハンダクの戦いでメッカのクライシュ族はイスラムに敗北し、5月にはメッカ側についたユダヤ教徒のクライザ族の男は全て殺害され、女子は奴隷として売却された(クライザ族虐殺事件)。マディーナを追放されたユダヤ教徒のナディール族はハイバルに住んでいたが、ムハンマドは628年にハイバルを襲撃、農園の収穫物の半分をムハンマドに提供することを条件にナディール族は降伏し、さらに他のオアシスのユダヤ教徒もムハンマドに税を支払うことを受け入れた。
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