ムハンマド存命時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 13:47 UTC 版)
「ズバイル・イブン・アウワーム」の記事における「ムハンマド存命時」の解説
594年頃にズバイルはメッカ(マッカ)で生まれたと言われている。8世紀のアッバース朝時代の伝承学者イブン・イスハークは、イスラームの教えを受け入れたばかりのアブー・バクルの呼びかけに応じて改宗した最初期の信徒の中に、ズバイルの名前を記している。 ムハンマドたちがメッカ(マッカ)の住民から迫害を受けた際にウスマーンら一部の信徒はエチオピアに避難し、ズバイルも避難者の一団に加わっていた。ズバイルはエチオピア移住団の中で最年少であり、エチオピア王ナジャーシーに対する反乱が起きた際に戦場に赴き、ナジャーシーの勝利を確認して仲間たちに吉報をもたらした。後にズバイルはマディーナのムハンマドと合流し、多くの戦闘に参加する。 624年のバドルの戦いにおいてはムハンマドの従兄弟アリーと共に斥候を務め、水を補給するメッカのクライシュ族に攻撃を加えた。629年のハイバル征服(英語版)では、ズバイルはムハンマドに敵対するナディール族の戦士ヤースィルを一騎討ちで破ったことが伝えられている。ハイバルの攻略後、ズバイルは遠征に参加した他の教友や部族集団と同様に、18に区画された土地の一つを授与される。翌630年、メッカ攻撃に際してムハンマドはズバイルに下手からメッカを攻撃するよう命令し、ズバイルは指示に従って行軍した。 ムハンマドが没した時、ズバイルはアリー、タルハとともにファーティマ(アリーの元に嫁いだムハンマドの娘)の家に立て篭もり、新たな指導者を選出する場に姿を現さなかった。
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